爺と孫 2
いろんな人間がいるここの町だが、いまの三人組もなかなか目を引くものらしい。
いいカモ扱いされる、綺麗な民族服をきた育ちのよさそうな日本人を、サイズの合っていないボロ服を着たスクォッターの双子イタリアンが先導している。居そうで居ないだろう。
「あのねー、あっちはふくやさん!ブランドのが売ってあるし、てんいんさんのアドバイスがバッチシってはなしだよ。おミヤゲにはぴったり!それから――」
一番先をいくフェリシアーノがくるくる表情を変えながら本田という日本人に、町を案内する。本田はフェリシアーノの話にひとつずつあいづちを打っていた。
フェリシアーノがスリなどの業の代わりに身につけたのは話術だった。人好きのする笑みを浮かべ、人なつっこい彼がする観光案内は小さな小さな名物だ。まあ、かせぎは少ないが。
ところどころ出っぱっている看板を説明しながら、しだいに治安の良い通りにむかいロヴィーノたちがたどりついた先は、綺麗で高級そうなレストランだ。
ロヴィーノたちなら一生涯こないであろう場所だ。
「おひるごはん、ここがいいよ!シーフードパスタはサイコーだし、ふいんきもバッチリ!ジャポネーゼのメニューもあるんだよー」
「ほおお……」
フェリシアーノは、人を見てその人物にあった店や場所を案内するのが得意だ。口コミやらなんやらで集めた情報と足で、それをえらぶ。
本田は金持ちで、育ちがよくて、治安のよい場所をこのむ典型的な人間と判断したのか、適切そうな店だった。フェリシアーノの頭のなかでは、すでに今日一日のスケジュールが作られているんだろう、それくらいはできなくては人好きのする性格だけでは金はかせげない。
気にいるかと思えば、本田は目のまえに立つ店を見たあと、ロヴィーノとフェリシアーノをいちべつした。
「たしかに綺麗なレストランですが……」
「どーかした?ホンダさん」
気に入らなかった?と寂しそうな目をするフェリシアーノに、本田は首をふる。
彼はこちらの目線にあわせるようにか、かるくしゃがんだ。
「私、イタリアははじめてではないんですよ。好きな国なので、何度も訪れています。ですから、観光におあつらえむきな豪華な食事や買い物は飽きてしまったんですよね」
「……?」
「今回の旅行では、地元の味を楽しむことが目的なんです。つきましては、お二人の馴染みのお店、なんてものを紹介してくれませんか?」
この男、やっぱり育ちがいいんだな、とロヴィーノは思う。
「あっ、あのねホンダさん。オレたち……」
「みせでメシなんて、くえるわきゃねーだろ。ファーストフードですらごちそうだ」
かせぎが悪ければ犬が群がるような残飯をあさって食いつないでいるなんて、このお坊ちゃんは思いもしないのだ。
同情したのか、かなしそうな顔を見せる。
環境のちがいが明白になる。
ピンからキリまであるといえども、この町ていどじゃ限度があった。ロヴィーノら双子よりずっとわるい環境の下に、どうにか生きながらえている子供もたくさんいる。井の中の蛙でいられたなら、この生活にだって納得ができた。
だけれど豊かな国の豊かな街から観光できた観光客なんてものを、はるか雲の上にいる人間を見てしまったからには、自分たちの位置がはっきり示される。知ってはいたのだが見せつけられる。
自分らは大きなヒエラルキーの最下層にいるんだということを。
「ですが、奮発した日にいく店や、特別な日にいく店とか、あるでしょう?」
「……ドイチェ?かなぁ、にーちゃん」
「しるかよ、チクショーが」
辛いと思った。
こんな仕事をつづけているフェリシアーノにかるい尊敬を覚えた、自分には到底できそうもない。そもそもロヴィーノに笑顔で案内なんて真似はできそうもないのだが。
フェリシアーノが本田をドイチェに案内する。治安の良い通りからははずれた、ロヴィーノらには居心地の良い路地裏にあるそれは、知り合いのやっている店だった。
とはいえ、年単位でしか入ることはない。それはロヴィーノらの努力の末であったり、彼らからの招待であったりするものだ。
今日は客商売である。なつかしさにかられながらも、フェリシアーノに袖を引かれ、店からあるていどの距離をとって立ち止まる。
「どうかしました?」
立ち止まったロヴィーノらを不思議に思ったのか、本田はふりかえる。
「オレたちここにいるから、おいしいごはん、たべてきてね!」
フェリシアーノが笑顔で両手を大手にふる。時間をどうやってつぶそうかと考えていると、本田がつかつかと戻ってきた。
二人が疑問を浮かべるまえに、本田はロヴィーノらの手を引いてひきよせた。
「一緒に食べましょう?」
「……?」
「ホンダさんー?」
「えーと、日本では、雇った人に食事を出さないといけないきまりだったりするんです」
さも、いま作ったようなホラ話をする。
単純なフェリシアーノはそうなの?、と本田の話を信じたようだった。
「べつにいいから、そのぶんもはらうカネにいれろ」
「……ひとりぼっちで、寂しくご飯を食べろっておっしゃるんですか?」
いままで柔和な笑みしか浮かべなかった本田が、ほんのり寂しそうな表情をした。
ロヴィーノの腕のなかから、フェリシアーノが本田の服のすそを軽くつかんだ。
「いっしょにはいっても……いい、の?」
「もちろん。元よりそのつもりです」
「オレらにゃ、んなカネねーぞ」
「私が出しますよ、雇用主とはそういうものです」
異国の地で偶然であったガキに飯をおごる。
案内すれば金をだす、と本田は言っていたので、飯のひとつでチャラにする気か、臓器目当ての人買いか、そうでなければ哀れみだろう。それ以外に考えられない、ロヴィーノたちに価値はないのだから。
無邪気によろこぶフェリシアーノを引きよせ、善良そうな笑みを浮かべる本田を、ロヴィーノは睨みつける。
「ヴェー、にーちゃん?」
「バカフィ!しらねーヤツに、かってについてくなっていってるだろ!」
「ホンダキクさんでしょー、しってるもん!」
「ホントかどーかなんてわかんねーだろーが!」
たとえ本当の名前だったとしても、ロヴィーノが彼について知りえるのは国籍と名前だけである。
ついていってもいい人、というのは自分にとって安全が証明された人のことだ。場所によっては隣人でもダメだし、治安のいいところでは誰についていっても安全だったりする。
ともかく、ロヴィーノが睨みつけていると、本田はなぜかうれしそうにして、そ知らぬ顔でごそごそとなにかを取りだした。手帳のようだ。
「なんだよソレ」
「日本のパスポートです。外国でコレ以上の身分証明はないですよー」
「わー、すごー!」
「……バッ…!とられたらどーするつもりだテメー!さっさとしまえっ!」
片手でひらひらと宙に浮かせている本田のパスポートを、彼のバッグになかばムリヤリ押しこむ。
ジャッポーネのパスポート。治安先進国と呼ばれる国のパスポートは、ロヴィーノらにとってみれば頑強な実行力をともなう強力なおまもりである。
他国にいても、つねに自国の政府の加護下にある証拠。鉄壁の安全が保障されているのだ。
自分たちは、地元にいようとも、保障なんて欠片もないのに。
「パスポートってのは、イヤにたかくうれるんだよ!とられたくねーなら、だすなっ!」
「たぶん大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます」
「しんぱいしてなんかいねーよチクショー!」
場違いにもほどがある本田の笑みで、ロヴィーノはなぜか、サイフをすろうとした日本に自分がつかまったことを思い出す。
こんな見かけではあるが、おそらく本田は武道に通じていて、盗られそうになろうとも襲われかけても対処くらいはできるのだろう。
「一緒にごはん食べてくれませんか?」
「うんっ!」
「……し、しょうがねーな」
にこにこと微笑む本田に逆らえず、結局うなづいた。
ロヴィーノの後ろにいたフェリシアーノが、ヴェー!と嬉しそうに声をあげる。
「やったぁー!ルートとあえるー!」
「ルートとは?」
「あのねっ、ともだちなのー!」
ルートことルートヴィッヒは、ドイチェの店長の弟の名である。
本田は二人を連れると、ドイチェに入った。
どんなひいき目でもみても、間違っても観光客向けではない大衆向けの店の雰囲気はさわがしく、かつ地元色の強いものだった。
おそらく、高級そうな店をやめてこんな庶民的な場所に来たのは、ロヴィーノらを連れてはいるためだったんだろう。その目的はわからないが、本田ははじめからそのつもりだったのだ。
本当にここでいいのだろうか、とフェリシアーノが本田の顔色をうかがってみるが、彼は興味深そうにキョロキョロとあたりを見まわしている。間取りやらデザインは以前来たときとまったく変わっていなかった。ただ、アジア人が珍しいからかむけられる好奇の視線がうざったいが。
それも気にせずにフェリシアーノは本田の手を引いて、カウンターへとむかった。
なじみの客としゃべっていた銀髪の男、店長ギルベルトが面倒くさそうにこちらをむいた。
「らっしゃい……って、フェリちゃんじゃねぇか!ロヴィーノも、久しぶりだな」
二人からはすこし遅れて入ってきたロヴィーノも目ざとくみつけてギルベルトは声をかける。
本田もほがらかに返した。
「こんにちは」
「あー、ちは。フェリちゃん、案内業か?……ジャポネーゼにうちみたいな味は合わねーと思うぜ?お兄さん」
「ギルー、ホンダさん、ふつうのイタリアのごはん食べたいって!」
「そーなのか?だったら自信はあるぜ!さっさと注文しな」
ギルベルトは手作り感あふれるメニューをとりだして、本田に手わたした。
ずらりと雑な下手な字で書かれたメニューを見て、本田は頭をひねる。
「名前だけじゃわかんねーだろうな。えーっと……」
そういうものか、とロヴィーノが納得し、フェリシアーノとギルベルトが交互に料理名をつげてていねいに紹介していく。
ますます本田がこまったような顔をしていた。
ペラペラと説明していたが、本田が首をかしげているのに気づいたフェリシアーノがたずねる。
「ホンダさんどーしたの?」
「……メニューが、読めなくって」
「は?のわりにはペラペラじゃねーか」
「すみません。ブロック体ならなんとか読めるんですが、筆記体で書かれると少々……」
「あぁ?そうなのか?さっさと言えよ……」
ギルベルトは奥から紙とペンをとりだすと、サラサラとメニューをブロック体で書いていった。荒くれモノが多いなか、ギルベルトはしっかり読み書きができる。
そんな店主に本田はありがとうございます、と頭をさげる。
言われなれてない言葉のせいか、ギルベルトはすこし赤くなっていた。
「字が読めないやからは多いもんだ。だけど、話せるジャポネーゼが読めねーとは思わなかったぜ」
「すみません」
「誰も責めてねーよ。んで?ご注文は?」
「そうですねぇ……。ロヴィーノくん、あなたのオススメはどれですか?」
なぜそこでロヴィーノに聞いてくるのかはまったくわからなかったが、ボソッとつぶやくと、本田は生き生きとそれをギルベルトに伝えた。
