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きみはペット -9-



「カークラン……ア、アーサー……さん。夕飯、食べていかれませんか?」
「突然来たのに、大丈夫か?」
「今から作りますから少しお時間をいただきますが、それでよろしければ」
「なら、頼む」
お昼が本格イタリアンパスタと結構重かったから、晩は炒飯でいいかなぁ、なんて思っていたのだが、客がいる以上、手抜き飯を出すわけにもいかない。
何作ろうかな、冷蔵庫には何があっただろうか、頭の中で献立を組み立てる。
彼が突然来たのでなければもう少しマシなものが作れたかもしれないが、あまり待たせてもいけないし日常料理くらいしか作れまい。
途中カークランドが手伝いを申し出たが、学生時代彼の料理下手さは嫌というほど思い知っていたので、丁重にお断りして調理にかかった。
料理は上手なフェリは、カークランドとゲームをして遊んでいる。
ペットが家事をしないのはいつものことだが、二人に仲良くなられると怖い、と思うのは自分だけだろうか。
ファミリーゲームの音楽をBGMに作り、一息つこうとお膳に戻ってくると、ゲームが一段落ついたところなのか、フェリがくるりと振りむいた。
「菊ー、あのね、アーサーさんがねー!」
「ばっ、やめろ!言わなくていい!」
元気に報告しようとするフェリの口を、後ろから慌てて押さえようとするカークランド。珍しく声を張りあげていた。
そんなに長い時間ほおっておいたわけじゃないのに、カークランドの対応からしてかなり密な交流をしているような気がする。正直、フェリの口からなにが漏れるかわからなくて怖い。
「どうしたんですか」
「……っアーサーさんもキモノ着てみたいってー!」
「っ!このバカ!」
カークランドの手から逃れて、騒ぐ着物姿のフェリ。カークランドはいつの間にか真っ赤になっていた。
何が恥ずかしいのだろうか、いまいち菊にはわからないが、これも意思表示のひとつというやつだろう。
「もう、遅いですし。いずれ時間が空いたとき、午前中にでもまたいらしてください。宜しければ着て、一緒にでかけましょう」
「悪いな。……楽しみだ」
「わー、キモノデートだ?いいなぁー!」
「もうっ、黙りなさいフェリ」
三人でいるのに、色恋事の話をすると、一人を押しのけてしまうことを遠慮してか、あまり口調や、名称についてカークランドは言ってこなかったのでわりと普通に過ごせた。
美味い美味い、と喜んで料理を食べてくれているカークランド。
だけれど、菊が彼をカークランドさん、と呼ぶたびに少し悲しそうな表情になるのが辛かった。





キュ、と小気味の良い音を立ててネクタイを締める。鏡を見つつ背筋を伸ばして、菊は宣言した。
「よし、決めました」
「なにをー?」
鏡には後ろでアホ毛をゆらすフェリが見えた。
拾ってから随分たち、彼の早寝早起きの習慣はほぼ確立された、菊のジジイ設計に。故に毎日お見送りをしてくれる。
ここ最近、やると決めたことをあえてフェリに宣言することで、菊はモチベーションをあげていた。今日もそれである。
「敬語は癖だって伝えて、タメ口とやらは勘弁してもらいます!」
「おおーっ、がんばってぇ菊ー!」
とはいえ、カークランドとは大学時代からの長い付き合い、いくら伝える必要がなかっただけとはいえ、言ってなかったことを今更伝えるのは億劫だ。
だが必要にせまられたからには、やるほかに道はない。
「そーいえば、そもそもなんで敬語がクセなのさ?」
会社に行きづらく、部屋の中で右往左往していると、フェリが首をかしげて尋ねてきた。
敬語が癖だということを伝えていない以上、その話もカークランドや他の人にはしていない。
「ああ。私、孤児なんですよ。気づいたら中国の孤児院にいたんですが、そこでまあ、大人受けしようかと幼心で、敬語に……ああ、それからずっとですねぇ」
秘密などではない、聞かれなかったから言わなかっただけのことだ。
過剰な同情を受けやすいがゆえに、菊は自分のことを苦手としてはいるが、聞かれれば答えるくらいはする。
「はえー……アレ、お兄さんいるんじゃ?」
「中学のときに、なぜか富豪の夫婦に養子にしていただきましてね。そこにはすでに4人の兄弟がいたんです。一人として血のつながりはなかったんですが……そのうち一人が兄です」
「ふぅん、じゃあ菊は5人兄弟かぁ。オレも兄ちゃんいるよー」
フェリは同情やら、菊の感情を勝手に推測して同調するようなことはせず、事実を事実として受けとめているようだった。
孤児だといえば同情するのが人なのかもしれないが、全ての孤児が不幸だったわけではないし、菊はその中でも幸運なほうなのだ。
気を使われ、使い返す必要のないフェリと話すのは気が楽だった。
「あ……トーニョさん、とかおっしゃる、あの方ですか?」
確かフェリは、兄ちゃんと呼んでいた気がする。
二人が似ているとは思わないが、ラテン系の雰囲気は多少は合っていた。
「ううん、トーニョ兄ちゃんは……近所の人ー」
どこの近所の話だ、とツッコむ時間は菊にはなく、珍しく言葉をつまらせたフェリをほうっておいて急いで出社した。





会社にいるとき、菊とカークランドは恋人ではない。昔なじみですらなく、単なる上司と部下である。
それは、公私混同を好まないカークランドの性格、会社の皆には二人の関係を隠したい菊の利害が一致していたので、そういう関係になったときからの暗黙の事実だ。敬語を使うのも、苗字で呼ぶのも当然のことであるため、菊の苦労は二人きりのときほどではない。
ないのだが、二人きりの昼の食事に誘われたのでかなりの苦労をした。
それとともに、カークランドの少し悲しそうな表情も見ることになった。
やはり伝えないといけないと思う。敬語は癖で、もう直しようのないことだと。カークランドを恋人と見ていないわけではないのだと。
「カークランドさん、この後、少しお時間いただいてもよろしいですか?」
「ああ、かまわないぞ本田」
苗字を呼ぶのは、仕事中の証。名前で呼ぶのは、恋仲にある証。
恋人の名前もろくに言えず、恋人らしい言葉遣いもできない自分を伝えなければいけない。
それが紳士の彼に釣りあわず、別れることになってもだ。彼に寂しそうな顔をさせたままではいけない。
半ば強制的であったが、はじめて菊がカークランドをアーサーと呼んだとき、彼は本当に嬉しそうに照れて笑ってくれたのだ。
今、菊が彼に出来ることといったら、それくらいだろう。
名前で呼ぼう。呼ばなければ。彼は私のことを菊と、そう呼んでくれるのだから。
目的地は決めずに、会社帰りに人通りのない道をカークランドと歩く。
「……菊、なんか話があるのか?」
菊の空気を察したのか、黙って先を歩いてくれていたカークランドが、不意に立ち止まって、ふりかえった。
「はい、えっと……歩きながらでよろしいですか?カークランドさん」
なんといって切りだせばいいものか、悶々と考えこんでいたもので、使い慣れた彼の苗字がすらりと出てしまった。
名前で呼ぶのは、恋人の証。
カークランドは”本田”から”菊”へと切り替えてくれたのに、それに気づかず、普通に苗字で呼んでしまった。
「あ……、す、すみませんっ。あの、アーサー、さん」
「……もう、どっちでもいいぞ。無理言って悪かった、本田」
訂正しようとしたが、すでに遅かったらしい。諦めたようなカークランドの返事があった。
今まで、ずっと菊と呼んでくださったのに。
”カークランドさん”と呼んだ私に、眉をひそめることもなさらないんですか。
カークランドが急速に自分から離れている感覚に襲われ、否定して欲しかったが、見たかった彼の表情は夕日の逆光でよく見えなかった。
話は終わったと判断したのか、カークランドが前をむきなおして、歩みを再開する。
どうしようが頭をかけめぐり、どうすべきかなんて全然思い浮かばなかったが、菊はとっさにカークランドの袖をつかでいた。
「……本田?」
「あっ、す、すみませんっ……」
カークランドがふりむいてから、失礼だと気づき袖から手を離す。
彼を引き止めて自分はなにを言うつもりだったのか。カークランドは菊に愛想がつきたというのに。
英国紳士のカークランド、仕事も出来スポーツも出来、ルックスもいいカークランドに釣りあうところなどひとつとしてないのに、キスやハグすら満足に受け答えできず、カークランドから送られる愛にただ狼狽していることしかできない。
セックスとて、付き合って一ヶ月以上たつのに行えていない。
カークランドの名前すら呼べない。
それは全て菊の所為で。
自分のことも伝えられず、ただカークランドを悲しませて。
「どうしたんだ?……言ってくれないと、俺にはわからない…」
さぞかし呆れているだろう、嫌われたかもしれない。引きこもり一歩手前だし、オタクだし、童顔だし、ジジイだし、地味な顔だし、ガリガリだし、人の男をペットなどといって飼ってる。
そんな菊にさえ、こんなに優しいカークランド。
彼に悲しい顔をされると、心が痛んだ。
「あの!……あなたは全然悪くありません、名前も呼べない、私が悪いんです」
「菊……?」
カークランドが名前を呼んでくれた嬉しさに菊は少し微笑んだが、すぐに唇を結んだ。
伝えよう。今を逃したら言えない気がする。
「私、自分のことを自分から喋るのって苦手なんです」
「……は?」
「仕事は例外ですが、プライベートで自分の意見を言うなんてもっての他で、基本的に他人の言うことに従う性質なんです。でも、言わせてください」
カークランドは驚いた顔して、ぽかんと聞いていた。
すいません全部言わせてください、それで駄目ならこぞって引き返しますから。
「尊敬しているあなたを、敬称なしに呼ぶなど私には無理です。あなたどころか誰にだってそうです。口調も崩せません。ごめんなさい、言うことが聞けなくて」
「…………いや、それは別に……」
「恋人らしくなんて全然できていませんが、あなたみたいに、少しでも自分を伝えられるように努力します。だから、それまで待ってください」
そう言うと、カークランドは苦笑して、頭をなでてくれた。
受け入れてくれたことが凄く嬉しかった。だけれど、菊にはまだ言うべきことがあった。
言う覚悟として、すう、と息を吸う。
「アっ、アーサー、さん。……これが、いまできる私の精一杯です。それくらいしかできませんが」
カークランドを呼び、またここで一息つく。
自分の気持ちを伝えるということは、菊にとっては相当の労力を要するのだ。
「どうかこれからも、菊、と、そう呼んでくださいますか……?」
言い終わったあとは、カークランドの顔を見るのが怖くて、かたく目をつぶっていた。
カークランドが何らかの反応を寄こすその数秒間が、菊にとっては何時間にも思えた。実際そうだったのかもしれないと思うほどだ。
そうした時間の後、カークランドの香水の香りがしたかと思うと、菊は彼に抱きしめられていた。
目のまえには、細いわりには頼もしいカークランドの胸。頭と背中にまわされたカークランドの手を感じる。
「そんなのいくらでも呼んでやるよ。……菊、愛してる」
「っアーサーさん……」
そのまま、濃厚なキスをされた。
ここ路上なんですけどね、とは思うが、人通りもすくないので菊はされるがままになった。








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10.3.29