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きみはペット -8-



ラテン系の姿が見えなくなったが、フェリとは一言も言葉を交わすことなく、菊は自宅へと戻った。
久しぶりに五郎さんが放浪から帰ってきていて、フェリは懐いていない五郎さんにむりやりかまってもらっていた。
菊も片付けを終えると、駄菓子とお茶をもって二匹のペットのいる縁側に行き、フェリと、五郎さんを挟むような位置に腰をおろす。
五郎さんはフェリの手にネコパンチするのをやめて、チリンと鈴を鳴らしながら花を象った菓子を検分している。
「五郎さん。ネコの体には悪いんですから、二つまでですよ」
そう言うと、五郎さんは不満そうに鳴き、それでも律儀に菓子を二つだけ食べると、菊の膝のうえに丸くなった。
フェリも菓子を口にはこび茶を飲んでいる。はじめてお茶を飲ませたときは味に驚かれたものだが、今ではこうしてすっかり祖国風の菊の家の雰囲気に馴染んでいた。
菊は五郎さんを撫でながら尋ねる。
「フェリ」
「んー」
「言わなければわからないこともある、と仰いましたが、あなたは言う気はないんですね?」
あなたの前の生活を、私に教える気はないんですね?
「うん。わかっちゃうまでは、言いたくない」
聞けば、生返事では決してない、否定の答えが帰ってきた。
仕方があるまい、菊のどうしても伝えきれなかったこととは違い、フェリのそれは彼が伝えたくないと思うことなのだろう。
菊とフェリでは伝えきれないものと伝えたくないものとで多少の差異はあるが、それでも菊がカークランドに隠していることが知れたとき、彼もこんな辛い思いをするのだろうか。
フェリの言い方では、隠していることを菊が知るのは時間の問題のようである。なにも強要してまで知るべきことでもないのかもしれない。
心はひどく痛みを訴えてくるが、飼い主にペットの気持ちまで把握し尽くす権利なんてないのかもしれない。
返事を返さない菊をどう思ったのか、フェリが悲しそうな顔を浮かばせる。
「菊、ごめんね。捨てないで?」
「いやです、捨てます」
キッパリ言うと、フェリはあんぐり目を見開いた。
「え、え、ええっ!?」
「……着物を着てくださったら、捨てません」
「え、あ、キモノ?って菊のそれ?」
「話してくれないんでしょう?だったらそれくらいのわがままをきいてくれても、良いじゃないですか」
むすっと年甲斐もなく頬をふくらませて菊がそう言うと、驚きのあまり涙すら浮かべかけていたフェリにいつもの可愛らしい笑みが戻った。
「わはー、オレ前からキモノ着てみたかったんだ!」
わがままになってない、とかの文句は却下させてもらおう。
好奇心旺盛で無遠慮な彼がなにも言ってこないということは着たくないのだ、と勝手に結論づけていた菊の頭はそう悪くないと思う。
勝手に菊が彼用に仕立てていた紺色の着物は、嫌味なほど似合っていた。
西洋人の作ったスーツだけでなく、東洋人の作った着物さえも東洋人以上に似合う白人たちが憎い。悔しいっ、でも感じちゃう。




プチ撮影会を勝手に開催した後、動きにくいと文句を垂れながらも着物が気に入ったらしいフェリはそれを着たままで過ごしていた。
慣れていない人には動きにくいのはご愛嬌とはいえ、部屋の中では動くことも少ないのだから大して脱ぐ理由にならないのもあるだろう。
五郎さんを撫でながら菊が撮りためたアニメ観賞にふけっていると、フェリがマンガ本を片手に、五郎さんのいた菊の膝に半分侵入してきた。
テリトリーへの侵入者にフシャーッと毛を逆立てる五郎さんに、ワンワンと対抗して犬の真似をするフェリが可笑しくて、菊はくすくすと笑いながら、大きさの違う二つの頭をなでた。
ペットというのはささくれた心を癒すというのは本当だ。
あちこちにぶつけて、自分でとんがらせた感情をこねて丸く戻してくれる。心にできた隙間もでっぱりも皺も穴も、彼らにかかればお手の物。
どうも現代人のストレスまみれの生活にペットは必要不可欠のようですね、どうりでねこ鍋が流行る。
なんて考えつつとろとろとしていると、ピンポーン、と無機質な音が家に響いた。
玄関のチャイムだ。
ビデオは停止ボタンを押して、フェリは膝からおいだし、五郎さんを抱いて、菊はドアを開けた。
こんな時間まあまだ夕食前の夕方だが、誰だろうと想像を膨らませるが、そこにいたのは予想外すぎる人だった。
「カークランドさん……?」
「よぉ。アポイントもなしにこんな時間に悪いな……あがっていいか?」
「え、ええと……」
恋人の初かつ突然のお宅訪問に驚きつつ、見られて困るものはなにかなと考えてパッと思いつくのはオタクグッズ。
ここは不躾にも突然やってきたカークランドに少しここで待ってもらって、その間に部屋を片付けるのがベストだろう、と最重要のものを忘れてこれからの行動を考える。
少し待っていただけますか、それを伝える前に、そのすっかり忘れていた最重要が空気を読まずにひょっこり玄関に顔を出した。
「菊ー?誰だったー?宅急便ー?」
「―――!」
ほぼ脳内でペットと化していた、フェリのことをすっかり忘れていた。
菊から見ればただのペット、他人から見れば男友達を家に泊めているだけの状況だが、同姓の恋人であるカークランドから見れば浮気と同等に取られる可能性もある、いまはそんな時間帯だ。
さらには菊は昼間、彼の誘いを断ったばかりだった。なおさら状況は悪い。
着物姿のフェリを上から下まで眺め、カークランドの機嫌が急降下するのがわかる。
まずい、なにか言い訳を考えなければ。
以前フェリがカークランドに説明した言い訳の内容はなんだったろうか、カークランドが認識している菊とフェリとの関係は。
「…………お前、確か」
「あっ、えーっと、アーサーさんだー!オレ、ほら、菊の親戚!甥っ子って言えば思い出してくれるっかなぁー?」
一人焦る菊を後目に、フェリは以前と同じ設定をすらりと通す。
そうだ、菊の兄の再婚相手の連れ子がフェリで、だから菊はフェリの叔父という関係だと言ってあった。
「フェリシアーノだったか、覚えてるぜ」
「よかったー。オレそんなに印象薄いかと思ったよ」
「で、なんでその甥っ子がここにいるんだ?まさか、一緒に住んでいるわけじゃねぇだろ」
カークランドがきょとんとした顔から、徐々に強面な表情へと変わっていく。
「それはですね……」
なにか、言い訳。ペットとして男を飼ってる、なんて信じてもらえるわけがないし、それ以前に、ヒトとして駄目だ。
単に甥っ子が泊まりに来た、というほかないだろう、と決心して顔をあげた時、すでにフェリが話していた。
「それがねっ、聞いてよ!オレのアパート全焼しちゃってさー」
「……大丈夫なのか、それ」
「ううん、ひっどいよ!なんにも残ってなかったもん。だから菊おじちゃんに押しかけたってわけー」
「おじちゃんって言わないでください」
いきなり素っ頓狂な嘘を、とは思ったが、思いのほかフェリは方便をつくのが上手いようだ。
険悪な空気を醸していたカークランドも、すでにフェリを心配する側にまわらされていた。
「あっ、安心してねアーサーさん!今日いいトコ見つけたから、2・3日で出てくよ」
本当にフォローが上手い。これでおそらく、カークランドには何のわだかまりも残らないだろう。



玄関で話しこむのもなんだから、と菊はカークランドのコートを預かり、奥へと引き入れた。
紅茶本場の地、イギリス人に緑茶を出すとはいかがなものかとも思ったが、それ以外に置いていないので、緑茶と最中を出してみた。
お膳に腰をつけ、ゆったりと茶を汲むが、カークランドが話しだそうとする気配はない。
どうしてアポもなしにいきなり夜にやってきたのか。恋人の間では普通のことかもしれないが、紳士といってはばからないカークランドには中々考えがたいことだ。
フェリは空気を読んだのか読んでいないのか、ふすま一枚向こうの部屋でパソコンゲームをはじめてしまった。
会話が起きない、話題がない、空気が重い。
お互い一杯飲んだあたりで、おかわりを注ぐのをきっかけとしてどうにか話しかける。
「こんな時間に……突然どうなさったんですか?」
「いや、俺たちには、交流が足りない、と思ってな!」
さいですか。なるほど、昨今の恋人ってやつは、交流が足りないからと突然初のお宅訪問をやっちゃうわけですか。
すべてにおいて紳士然としていたカークランドが一体どういう思考回路を得て、そう行動したのか菊には謎である。
「……俺は、他人に自分の感情、なんてもんを伝えるのを苦手だ」
緑のお茶をぼうっと眺め、カークランドは詰まりながらも言う。
「だけど、アルフレッドにああ言われてから、あるもんは伝えようと努力してるつもりなんだ」
それは痛いほどわかる。
こちらも苦労させられているが、その分、はたまたそれ以上にカークランドも頑張っているとわかる。
彼は普段、そういったことを口や態度に出さない人だということは、大学時代から良く知っている。それは彼を根幹から支えている紳士たる人生観がそうさせている部分が多くあると思う。
カークランドはそれを崩してまで、菊に伝えようとしてくれているのだ。
菊の家を訪問した理由とて、彼に言ってもらわなければ、菊には到底わからなかった。
カークランドが自分たちの関係を不安に思っていたなんて。
「だから、日本の寡黙が美徳って文化はわかってるつもりなんだが。……なんだ、その、お前の考えてることを、少しずつ教えてくれると、嬉しい、ぞ!」
ふい、と顔を背けたカークランドの耳は赤くなっていた。照れ屋な彼がこうにも率直に伝えてくれるとは珍しいことだ。
「カークランドさん……」
「菊、カークランドじゃないだろ?」
「……ア、アアアーサー……。ぜ、善処いたします」
白い顔をほのかに染めて、カークランドは綺麗に笑った。
整った顔が照れくさそうに笑ったときほど、かっこいいものはない。
とたんに動悸が大きくなって、菊は恋をしていることを実感した。









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個人的に言わせてもらうと、アルフレッドじゃあるまいし、アーサーはこんなことしない気がします(

10.3.28