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きみはペット -5-



フェリがまだ中にいるが、怪しまれないように電気を全て消して外にでた。
「カークランドさん、お迎えありがとうございます」
「ああ。そういえばペットを飼っているとか言ってたが、いいのか?」
「えっーと、隣人に世話を頼んでいますから」
カークランドはごく自然に菊の荷物をひきうけ、車にのせる。菊が乗ろうとすると、ドアも開けてくれた。
なんというレディーファースト、学生時代から感じていたが紳士とはこういう人のことを言うのだろう。
自分は女性ではないが、これはひどく照れる。
自国の女性たちが欧米男性人に弱いというのも、うなづける話だと思った。



お泊りの先は、菊の好みをカークランドが優先してくれた結果、温泉である。日本で言うところの熱海だろうか。
ひとまず旅館について荷物を広げる。
きらびやかなものでなく、風情のあるというか、使い込まれた感じがとても気に入った。
「さっそく温泉いきますか?その後に夕食ですよね」
「……あ、ああ。そうか、温泉だよな」
カークランドがなにを言っているのかよくわからなかったが、とりあえず備えつけのバスローブを持って温泉へと向かう。道中もカークランドはずっと何かを考えこんでいた。
浴場についてから、ようやく菊は彼の悩みに気づいた。
温泉、ということは当然ながらお互い裸になるのだ。
普通の異性カップルならば、風呂あがりの浴衣姿に欲情する程度のことだろうが、同性であれば風呂の最中で欲情してしまうではないか。
菊の顔が自然とほてる。それに気づいていたカークランドも顔を赤くした。
「……入るか」
「は、はい」
カークランドの裸が目に入らないようにしながら脱衣する。
ここの温泉は白く色づいているらしいから、入ってしまえばお互いの体は見えないはずで、そう意識することもないだろう。
先にカークランドが温泉へむかう。
後から入ると丸見えだといまさら気づいた。
最低限タオルで秘部だけは隠しつつ、湯に足を入れた。冷えた体がじわじわと熱に包まれる。そのまま肩までつかった。
「いい湯ですね、露天風呂だとは知りませんでした」
「ああ。……月が綺麗だな」
「……っ、ええ」
月が綺麗ですね。かの文豪、夏目漱石の訳した、愛の言葉だ。
愛しています、とloveを言葉にして伝えるという観念がなかった当時の日本では、さまざまな作家がloveを表現豊かに訳したものだ。
あなた以外には要らない、あなたのためなら死んでもいい、など、己が吐いた言葉がそのうちの一つである、なんてカークランドは知らないだろうが、知っているこちらとしてはただでさえお風呂は恥ずかしいのにますます体温が上がる気がする。
そのうえ、さっきからフェリの言ったことが頭をちらつく。
ちらりとカークランドのほうを向けば、夜空をみあげていた。
その体は、細いのにばっちりと、フェリのような古傷はなく、なめらかそうな白い肌。温泉のためほんのり赤く染まっていて、ひどくつやめかしい。
『犯らちゃうね』
そりゃあ、そうだ。覚悟は決めたのかと言われれば返答につまるが、そういう展開が来ないと思うほど経験がないというわけでもない。
さすがに男性相手の経験は初めてだが。
カークランドはどうなのだろう。学生時代からモテてはいたが、男性相手も経験があるのだろうか。
フェリは、確実にあるんだろうな、男女ともに経験豊富そうだ。
「本田?」
カークランドの声が遠い。ペットのことなんて考えていたからだろうか。
「おい、本田?本田!?……だ!………………!」
お土産何にしようかな、とそれが思いつく間もなく、カークランドの声が遠ざかった。



ふわりと意識が浮上して、ゆったりと目を開ける。
パタパタと動かされているうちわが見えた。その奥に金髪と、緑の目。
「カ、カークランドさん」
「おい、急に起きあがるな」
起き上がった瞬間、貧血でふらりときてまたベッドに戻る。
眉を寄せて覗きこんでくるカークランドが、菊の額に手をあてて体温を測る。
「よし、大分下がったな」
「あの、私……どうしたんでしょうか」
「風呂でのぼせたんだよ」
そういえばなにかつらつら考えていたらカークランドさんの声が遠くに聞こえて、それでそのまま気を失ったのか。
カークランドはまだ菊にうちわを扇いでくれている。
「すみません、せっかくの旅行なのに」
「……っ、気にするな」
カークランドが気まずそうに顔をそらす。
どうしたんだろう、と思ったが、すぐにわかった。そばにいた館員の人が答えをくれた。
「大丈夫でございますか、お客さま」
「あ、はい。ご迷惑おかけしました」
「いえいえ、私どもはなにも。そこのお方があなたさまを部屋に運んで全部世話をしてくださったので、御礼を申し上げたいほどです」
といわれて、菊ははじめて自分の状況を確認した。
しっかりとバスローブに身を包んでいる、風呂に入っていた最中に気を失ったにもかかわらず。
それはつまり、気を失った菊をカークランドが拭いてくれ、服を着せてくれて、ここまで運んでくれたということ。
裸をかなりの時間見られた、ということだ。
館員さんは氷を追加して、さっさと部屋を出ていった。
「ありがとうございます、運んでくださったんですね」
「まぁな。……見て、悪かった」
「とんでもないです。それに、……近々、見ることにもなりますでしょう?」
顔がほてりながらもそう言うと、カークランドはうちわを扇ぐのをやめ、頭を抱えた。
小さな声で、よくわからないことを悪態ついている。
「どうなさいました?」
「あー……まだ気分は良くないだろ?今日はもう寝るぞ!」
そういうと、カークランドはすぐ隣にある自分の布団に入って毛布をかぶった。電気を消す。
ようやく彼が悪態ついた理由を理解した。
紳士としては倒れたばかりの人に、コトを働くわけにはいかないんだろう。
せっかく旅行を計画してくれて、楽しみにしてくれていたのに、自分が倒れたせいでそれを断ち切ってしまった。
「カークランドさん」
「……なんだ?病人ははやく寝ろよ」
「旅行だいなしにしてすみません。……また、お誘いくださいますか?」
「……ああ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ」
その次の日は卓球したり、のぼせない程度に温泉につかったりして、楽しんで帰った。
フェリにたくさん愚痴ろうと思う。そしてあのふわふわ頭でもなでまわせばきっと気分は浮上する。
お土産忘れたからすねてきいてくれないかもしれないな、なんて思いながら帰ったのだが、まだ早い夜にもかかわらず菊の家に明かりがついていなかった。
カークランドが送ってくれることを想定して電気を消してくれているんだろう、と思って家中を呼んでまわったが、フェリはとうとう出てこなかった。



たいしたことはないが、旅行の荷物を片付け、洗濯し、自分とフェリの分の夕食も作った。出かけるときゴネていたから、彼の好きなカルボナーラのパスタだ。
ペットというなら匂いをかぎ分けて出てくるぐらいのことをやるかと期待したが、現実はそうもいかない。
できたてには負けるが、冷えても美味しく食べられるだろう。二人分をラップに包み、いつ帰ってきてもいいように冷蔵庫に入れる。
フェリのいる気配も帰ってくる気配もしない。
昔はさほど珍しくもなかったが、フェリがうちの子になってから1ヶ月、この広い家に一人ぼっちなんてことはそういえばなかった。
帰ればいつも彼の笑顔があり、時には五郎さんの姿もあった。
今は一人だけだ。
ここまで広い家なんて作らなくてよかったのに、身の程もわきまえずアメリカの土地の安さにテンションがあがったせいだ。未だに近所のファンシーな家のなかで浮いているが、住民とは馴染めてるとは思っておきたいところだ。
侘しくなってきて、縁側に出る。今はちょうどキレイな三日月の見える日ではないだろうか。
まだ蚊のでる時期ではないし、癒してくれそうな風情もあるだろう。
カラカラと静かな音を立てて、戸を開く。空にはぼんやりとした白い三日月に従うように星がきらめいている。
「これで、膝に五郎さんでもいたら完璧なんですけどねぇ……」
「それ……オレ、じゃー……ダメー?」
ぼんやり、月を見あげて独り言を呟くと、驚くことに返事があった。なんとなく弱弱しい感じの。
「フェリ!?」
声のするほうを向けば、がさがさと庭木からフェリが顔を出した。
どこ行ってたんですか、と菊はしかりつけようとしたが、その前にフェリは崩れ落ちた。一瞬で血の気が引く。
「……だっ、大丈夫ですか?」
裸足なのもかまわず庭に降りて彼にかけよった。自分より大きなフェリを抱きよせる。
話ができるということは死ぬほどの重傷というわけではないのかもしれないが、普通に歩き出そうとしてあの崩れ落ち方は異常だ。
怪我などに障らぬよう、揺らさないように気をつける。
「きくー……もう、オレ」
弱弱しい声でフェリが答える。
菊の家に外灯などの洒落たものはなく、屋内の光源からの乏しい光だけが頼りだが、彼の顔に傷らしきものは見当たらない。
それに少しほっとしつつも、どれほどの怪我かがわからないという恐怖は募る。
はやく、いつもの彼の笑顔を見たい。
「フェリ、どうしたんですか。まさかどこかに怪我を?」
「つっかれたぁぁぁー……」
「………………はい?」
ひどく心配していた菊の耳は、それを聞くのを一瞬拒否した。
「眠い、寝るー……おやすみ菊ー」
「え、フェリ待って、私一人じゃあなた運ぶの辛……こんなとこで寝ないでください、フェリ」
老体で自分よりひとまわりもでかい男を運ぶなんて、腰を痛める。怪我をしているんじゃないとわかったフェリを揺すり起こしつつ、肩を貸しながらどうにかこうにか家の中に入った。
入るなりまたドタンと倒れ、畳の上に大の字になったフェリの体を軽く見てみる。
服は多少汚れているが、新たな怪我を負っている様子はなかった。本当の意味でほっとする。
「フェリ、寝るまえに説明してください、ほら起きて」
「ぅやー……。……んー…………」
「パスタがありますよ、食事を取っていないのなら、せめて取ってから寝なさい」
「パスタッ?」
目すら開かず微動だにしなかったフェリも、パスタという言葉を聞けば目を輝かせてガバッと起きあがった。
野生動物は餌が取れない日を生き延びるために、目の前にある餌は多少多くとも残さず食べると聞いたことがある。
うちのペットはまさにそれだな、と思った。








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カークランドは変態じゃなかったら、なかなか進まないことに気づきました。そして進まないことに不安を感じる本田さんも積極的!小悪魔!
フェリちゃんの普段をどうしようか悩みまくりです。きみペの雰囲気を残せそうなやつか、ぶち壊して変な方向に行くやつか。
10.2.15