Just Like Heaven 10-恋人はゴースト-.
「どうしよう、キク。………………アルフレッド、息、してない」
「……えっ!?」
フェリシアーノの言葉が理解できず、反応するのが一瞬遅れた。
とはいえ、反応したいまでも理解できてはいない。
「キク、その……手に持ってるのなに?」
フェリシアーノに言われて、菊ははじめて自分が何かを手にしていることに気づいた。
見てみれば、それは半透明の管。チューブ。
記憶にある。それは確か、アルフレッドの身体を自由に動かせるようにするために、つけかえた人工呼吸器ではないだろうか。
「うっわぁぁっぁあ!こ、呼吸器のっ」
「いっ!?キ、キク、はやく戻して!」
言われて慌ててつけるも、そんなことで途切れた呼吸が戻るわけもない。人工呼吸と心臓マッサージをやるしかない。
慌てて学生時代に習った人口蘇生法を思い出し、カートにのる彼の身体に馬乗りになる。
乳首を結んだ中央のあたりから、指の幅二本分おりたあたりの小さな突起部。両手を添えるようにして、ひじは伸ばし、腕が対象者と垂直になるような位置に自分の体を置く。
一分間に何回やればいいかは覚えていないが、リズムは覚えている。30回に二度ほどの人工呼吸。
チン、とすぐにエレベーターが一階部分に付いた。
「キク」
「はっ……、黙っててくださいっ」
戻ってきてください。助けるつもりが、私が貴方の命を断ちきったなんて、耐えられない。
数分もしてないはずだが、ずいぶん体力がいる。
髪から滴る汗がアルフレッドの胸に落ちようとも、彼はぴくりとも反応しない。
「不法侵入者め。患者から離れるのである」
「昼にはこのっ、患者の、命を断つのでしょうっ!そんなのが患者って、言え、ますかっ?」
「貴様、そやつの恋人だったな?……言い分はあとで聞こう、いますぐ離れるのである」
バッシュの命令でフェリシアーノはとり押さえられ、菊もはがされた。
「……っ!」
身じろぎはしたが、屈強そうな警備員は離してはくれない。むしろますます締められ痛くなる。
アルフレッドの身体が乗ったカートの向こう側に、ピーターをつれたアーサーの姿が見えた。
弟を、アルフレッドを、みとりに、来ていたのだろうか。
「オイ、こやつ呼吸が止まってるぞ!」
「……しかし、昼にはねむる命だ。また、呼び起こすのか?」
バッシュとルートヴィッヒが見あわせて、顔を歪ませる。
そうして、自然とアーサーへと視線が動いた。
「どう、しますか?」
「……っ」
アーサーは、一瞬息を呑んだ。なにも状況がわかってなさそうなピーターを見る。
そして、動かないアルフレッドを見、菊を見て、ゆっくりと顔を背けた。
「……そのまま、静かに、眠らせてやってくれ……」
「アーサーさん……」
菊は、両腕をつかんでいる警備員をひきはがそうとしていた力を緩めた。
そして頭を垂れる。
涙か汗かもうわからない水が菊の顔を流れ、髪からたれ落ちる。
諦めたかのように見せかけて、警備員を油断させた瞬間、菊は全ての力をスピードに変えて、他人をかきわけアルフレッドのもとへと走った。
カートを引きよせ、アルフレッドの腕に軽くふれた次の瞬間、4人の警備員に押さえつけられてしまった。
「いやです!アルフレッドさん……っ!」
一瞬、ふれた彼の手は、まだ暖かかった。
まだ人の体温だった。
ようやく幽体も身体に戻ったと思ったのに。
私の、せいで。
絶望と静寂の中、ピッっと電子音が鳴った。
それは一度だけでなく、ピッ、ピッ、ピッと徐々に規則正しくなって、あたりをつつむ。
心電図の音だ。
「心臓が……動き、だした?」
ルートヴィッヒの言葉に、顔を背けていたアーサーがかけよる。
「なにが、起きたんだ……?」
一度完全に止まった心臓が、心肺蘇生もしないのに自然と動きだした異常事態に、だれもが固唾を呑んで見守る。
アルフレッドに集まった多くの視線が、さらにありえない映像を見てしまった。
アルフレッドの目がぴくりと動き、次の瞬間には開いたのだ。
「アル?……アル!おい、アルフレッド!」
アーサーが緑の目に涙を浮かべながら、アルフレッドにふれる。
アルフレッドはふらふらと視線を泳がせた後に、口までも開いた。
「……あーさー……、な、に……?」
「ご、ごめんなぁ……っ、サインなんかしてっ!」
アーサーがボロボロと垂らした涙に、アルフレッドが嫌そうに顔を歪ませるも、アーサーは気にした様子もない。
それでも袖で涙をぬぐうと、アーサーは唐突に菊のほうを見てきた。
「オイ、警備員!そいつらを放せ」
警備員は生真面目に、総統らしいバッシュに伺いを立ててから、ようやく菊とフェリシアーノを解放した。
友人らしいフェリシアーノとアーサーが適当な知り合い挨拶を交わしていたが、それどころではない。
少し足元がおぼつかなくなりつつも、菊はそろそろとアルフレッドに近づく。
カートに手をかけて、生身の、彼の顔をのぞいた。
そこにいるという存在が薄かった幽体のときとは違って、顔色は悪いものの生きている体。
呼吸で揺れるシーツに、アルフレッドの生を実感する。
「アルフレッドさん。よ、よかったぁ……!」
止まっていたはずの涙がまた出てきたが、取りつくろう気力はなかった。
カートに横たわるアルフレッドに見つめられて、なんだろうかと少し戸惑う。
「……だれだい?」
アルフレッドは少し不安そうに、アーサーを見やった。
「キク・ホンダだろ。……おい、アル?」
アルフレッドはもう一度菊を見たが、わからないようだった。
多少なりと、覚悟は出来ていたじゃないか。耐えろ本田菊。
幽体が身体に戻れば、幽体のときの記憶がなくなっている、なんていうのは悲恋の純愛物語のセオリーだ。
もっとも、普通そういった主人公たちには周囲のひとたちが味方につくが、菊とアルフレッドの恋は幽体のときのもの。
いまや菊以外に、その恋を知る人はいない。
それでも、喜びに流れだしていた涙は、止まることはなかった。
アルフレッドの手がゆったりと動いて、菊の顔に伸びてきて、頬にふれた。
それは決してすり抜けるなんてことなく、ふれあえる、確かな、暖かな人の肌。
「きみ……どーして、泣いてるの……?」
「あなたが生きててくださって、嬉しいから、ですよ……」
涙が止められなかったが、かわりに菊は微笑んだ。
いまの自分にできる精一杯の笑みを浮かべた。
アルフレッドはそれを見ると、静かに目を閉じ、短い短い眠りについた。
