Just Like Heaven 11-恋人はゴースト-.
兄と同僚の医師たちの話によると、自分は事故にあって、長い間眠っていたらしい。
たしかに最後の記憶は至近距離に迫る車のライトだが、アルフレッドは一日寝ていたていどの具合にしか思えない。
事故による傷は三ヶ月間ほど寝ていた間に治っていたし、鍛えていたせいか筋肉低下は日常生活に問題は起こさなかった。
ルートヴィッヒにひとまず二日は入院してろと言われて、一応いてはみたが、それでも昨日はしっかり仕事をした。
そしてようやく家に戻れる。
アルフレッドはさっさと病室を出たかったが、荷物を片付けるのは面倒だ。
ということで兄のアーサーが手伝ってくれていた。その息子のピーターもいるが、すずめの涙だそんなもの。
「アル、これで全部か?」
「ああ、そうだぞ!っていうかアーサーそろそろ教えてくれよ!あの子は誰なんだい?」
「……誰だって?」
「もーっ!オレが一度目を覚ましたときにいた子だよ!アジアンの」
「し、知らねーよ!おら、ヘンなこと言ってねーで、さっさとアパートに戻るぞ」
何度聞いても、アーサーははぐらかす。
嘘をつくのは下手な人なので、バレバレだが嘘だとわかっても、あの子が誰なのかはわかりようがない。
眠りから覚めたとき、その子はぼろぼろと涙を流しながらアルフレッドを見ていた。
アルフレッドが話しかけると、その子は笑みを浮かべた。あらゆるものを包みこみ、どんな罪さえも許してくれる聖母のような笑み。涙を流しながらの微笑み。
アルフレッドの脳裏からそれが離れない。
過去にしたことはあるが、ずいぶんと久しぶりなこの感情は恋ってやつだろう。
最近、否、眠る三ヶ月前は遊びまわってばかりいたが、アルフレッドの気持ちはあの子一直線だった。
だけどアーサーは教えてくれないし、ルートヴィッヒやバッシュは、アーサーに聞けの一点張りだ。
「アルフレッド、あとで本屋に、いくですよ!」
「あーまぁいいけど。歩いて帰りたいしね!生きてるって実感したい」
「アルフレッドは死んでたんですか!?そして生きかえったですか!?ハツミミですー!」
目をキラキラさせてピーターが問うてくる。
幼すぎるころから一緒にアニメを見すぎたせいだろうか、この発言は。
「アルフレッド、変な知識植えつけんな」
「オレのせいじゃないんだぞ!」
「つかさ、……寝てる間のことなんてわかんねぇだろ?」
そう言われるとそうだ。
でも、長らく、寝ていた気がする。
*
誇りまみれになる前に、さっさと埃臭い書店を出た。
チビのくせに何冊もヒーローものの雑誌を購入したものだから、少し遅れてフラフラとピーターも外に出てきた。
しかたないから数冊持ってやる。
「もっと考えて、買うのがいいんだぞ」
「わるかったですよー。……なんか、あの店員ずっとアルフレッドを見てるですよ」
「誰だい?美女?」
「ねむたそうな、あのでっかいテンパですよ、ネコもってる」
スモークガラスの半分うえから、テンパのラテン系が確かにアルフレッドを見ている。
知り合いにいたっけか、とアルフレッドが記憶を検索していると、彼はぶらぶらと手を振ってきた。
ラテン系の記憶はなかったが、3ヶ月も眠っていたのだから知り合いの一人や二人忘れているのかもしれない、とも思う。だからアジアンのあの子も思い出せないんだ。
とりあえずテンパのラテン系には適当に手をふり返しておいた。
*
三人で、アパートに戻る。
自分にとっては日々の帰宅ではあるが、実質的には3ヶ月ぶりらしいそれは、なんとなく感慨深い。
さすがにほうり投げていたゴミやら、洗濯物なんかは綺麗に掃除されていたが、それ以外は以前とあまり変わりなかった。ほこりすら積もっていない。
「もしかしてアーサー、掃除してくれたのかい?ずいぶんキレイなんだぞ!」
「ああ……一ヶ月くらい別の奴が借りてたんだ。その後は俺が家具なんかは戻した」
「ふーん?」
自分の部屋がだれかに使われていたというのは少々不愉快だが、その痕跡はほとんど残ってなかったみたいで安心する。
確認してまわっていると、インターホンが鳴った。
まさか女じゃあるまいな、と身がまえる。さすがに兄弟のいる状態での修羅場は避けたい。
チェーンをはずして出ると、入ってきたのはたまに見かける、隣の住人だった。
「アロー!隣人さん戻ってきたんだねぇ、オレちょっと聞きたいことがあって……ってあら?」
「フランシス!?」
挨拶を数回交わしたていどの交流しかない男が、何の用だ。
アルフレッドがにらみつけていると、とつぜん隣人は素っ頓狂な声をあげた。
隣人の目線の先にいたのは、アーサーであり、アーサーもなぜだか驚いていた。
「君たち知り合いかい?」
「知り合いもなにも……なんで、テメーがここにいんだよヒゲ」
「ハハ、ついに鉢合わせしちゃったみたいだな?」
フランシスと呼ばれた隣人が、退院祝いと称してアルフレッドにお菓子詰めを渡してきた。
「久しぶりだな、アーサー。おまえの結婚式以来か?」
「ピーくんが産まれるまえのはなしですかー?」
ピーターがきょとんとした顔で、フランシスを見あげる。つづけてアーサーのほうも見たが、答えてくれそうにないとわかると、アルフレッドのほうを見てきた。
答えを求められても正直、よくわからない。
「……や、待てよ、その長ったらしい髪とヒゲ面どーっかで見た気が……あ!結婚式だ!」
ながい記憶のひもをたどると、アルフレッドの脳裏にポン、と映像が思い浮かぶ。
「君、結婚式でアーサーとキスしてたやつだろ!」
ヒゲ面とアーサーのキスシーン。
アーサーの結婚式の朝、白いタキシードに着替えたアーサーと、真っ黒なスーツ姿のヒゲ面。
新郎控え室でうっかり見てしまい、まあ特に興味もなかったからほうっておいたんだった。そうだ、よく思い出すとこの男だった。
アーサーが真っ赤な顔で震えている。
「な、なんでお前が知って……!」
「なんでって、うっかり現場見てたし。二人はどういう関係だい?」
一応聞いといてあげるよ!そうは言っても、アーサーは赤くなるのに忙しくて答えそうにない。
代わりに隣人フランシスが答えた。
「恋人、みたいなー?」
「だっ!テメ、適当に言ってんじゃねぇよ!」
浮いたうわさはないまま、そのまま20でカークランドより上の貴族のお嬢さんと政略結婚まっしぐら。
そのアーサーにまさか、恋人がいたなんてねぇ。しかも、男。
もしかして、ゲイだったから奥さんに逃げられたのだろうか、と思ったが、すぐにそれは否定できた。
アーサーは巨乳好きであるということは、弟であるアルフレッドは良く知っている。
「アーサーの恋人ですか?」
「そ、フランシスって言うんだぜ。よろしくな」
「ピー君はピーターですよ!よろしくですー!」
無邪気にそういうピーターを、アーサーはばっと背後にかばった。
ぎろりとフランシスをにらむ。
「ピーター。この男には近づくなよ。すっげぇ下品な男でヘンタイだからな」
「アーサーの野郎、男のしっとはみぐるしいですよー」
「嫉妬じゃねぇよ!」
「アーサー嬉しいよ、何年たってもお前は俺のこと思ってくれてたんだなー」
「だから嫉妬じゃねぇっつってんだろばかぁ!」
そういえば、アーサーが友人だと称していた男がフランシスという名前だった。
ピーターに言ったのと同じ言葉でアーサーは警告してきたが、とくに興味を持たなかった。たしかにあの友人という男は、目のまえの恋人男のように髪の長い優男だった気がする。
ピーターを交えた痴話げんからしきことを、アルフレッドの家でおっぴろげた兄を放っておいて、アルフレッドはお気に入りのキングサイズのベッドに飛びこんだ。
ぼふんっと盛大なスプリングに歓迎される。
なんだかふと、隙間風を感じた気がした。
「アーサー……なんか動かしたかい?なにか、足りない気がするんだけど……」
何が、とは明言できない。覚えているかぎりのものは部屋のなかにすべて見受けられる。
だが、何かが足りない気がするのは確かだ。
以前はこの部屋にあったなにかが、今はない、気が。
「……なにも変わりはねぇよ」
「あっそ。じゃ、気のせいかなー」
弟煩悩な兄がそう言うならそうなんだろう。
それに何かが足りないなら、買い足せばいい。医者の給料はいいのだから。
そうは思ってもやはり、物足りない何かを探して、アルフレッドは部屋を見渡す。
屋上へ直結している階段を見つけた。一番外側の部屋にしかついていない外付け階段で、アルフレッドは屋上から高い空を見上げて寝るのが好きだった。
フランシスと口げんかしながら、アルフレッドの荷物を紐といているアーサーに一言断り、アルフレッドは屋上へとむかった。
無機質で、誰も興味を示さない屋上。
だけど、ビルに囲まれた都会では特別空が高く広く見えたり、夜には街のイルミネーションが美しかったりするのをアルフレッドは知っている。
知っているからこそ、それを楽しみにきたのだが、今日は勝手が違った。
ただの屋上のはずが、一種のガーデンになっていた。
アルフレッドは兄のアーサーに連れられて、さまざまな庭をみせられていたせいで、屋上に作られた庭のレベルの高さはわかる。
だが、これは兄の仕業じゃない。アパートの管理人がとつぜん緑化運動にでも目覚めたのだろうか。
パンジーやらのオーソドックスなものもあれば、扱いが難しいものや単純な樹木も植えてある。
兄の庭ではないが、なんとなくこの庭を見たことがあるような気がした。合わないと思われる素材が絶妙なバランスで美しさを維持している、この庭、いったいどこで見たんだろうか。アルフレッドは記憶をたどる。
あれは時計台のある庭だった、確か、アーサーにつれられて。
否、それもあったが、アルフレッドにはもう一度、その庭を見た記憶があった。それも、ずっと最近のことだ。
物音に気づいて顔をあげると、そこにはあのアジアンがいた。
「あ、こんにちは」
あの子だ。アルフレッドが目覚めたとき、傍らで泣いていた子だ。
「……ハロー、ここでなにをしてるんだい?」
「ええと、庭を作ってみたんですが……お気に召していただけましたでしょうか?」
その子は泥のついた軍手を外した。
そうして、アルフレッドのほうをじっと見てきた。その視線にたじろぐ。
「ああうん、この庭は好きだけど。それより、君どうやってここに入ったんだい?」
「ブランギンスキ管理人に、無理言って……借りちゃいました」
そう言って、その子はひとつの鍵を取りだす。話の流れから、明らかにアルフレッドの部屋の鍵である。ということは、管理人が緑化運動に目覚めた線が強まってきた。
なんという偶然。
探していた、名前も素性もわからない子に、自分の家の屋上で出会えるなんて。
アーサーが今まで窄んでいた口を突然開くとは思いがたい、この唯一のチャンスを逃がすわけにはいかなかった。
「庭いじり、終わりましたので、失礼しますね」
「待って!」
そそくさと帰ろうとするその子の腕をつかんで引き止める。
パッとその子はふりかえった、予想外に驚いた顔をしていた。
「……カギ、返してくれるかい?」
「あ……そう、ですね」
小さな手から小さなカギが返される。その小さな手を、アルフレッドはぎゅうっと握った。
自分の側で、ボロボロ泣いていたあの泣き顔がどうしても脳裏から離れなかった。
「君…………あの時なんで、泣いてたの」
「……あなたが、生きてくれて嬉しかったから、です」
小さく低い声で、その子は答えた。
うつむいているのでその表情はわからない。
「オレ君のこと知らないんだけど、君とはどこで知り合ったんだい?」
「……夢の中で、会いましたよ」
その子は、泣きそうな顔をしながら笑った。
その表情と、風に揺れる黒髪に、記憶が引きだされる。
時計台がある広い庭で、アルフレッドの傍らにはアーサーではなく、確かに、その子がいた。
そこでもこうして、二人は手を合わせていた。
「会ったのは、夢じゃ、ないだろ!」
アルフレッドは、とっさに口づけていた。
「キク……」
「ア、アルフレッドさ……?」
キクは口に手を当て、信じられないというようなわかりやすい表情をしていた。
その顔にも仕種にも胸がしめつけられ、代わりと言ってはなんだが、アルフレッドはキクをきつくきつく抱きしめた。
そしてもう一度キスをする。
あの、感じたか感じなかったかわからない薄っぺらいものじゃなくて、はっきりと、キクの存在を感じて、体温を感じて、唇を感じた。
「全部、思い出した」
幽体になっていた頃のこと、全て。
キクがこぼした紅茶の染み、お互いを侵入者だと思っていたこと、記憶のないアルフレッドの素性を調べたこと、病院で死んでないことがわかったこと、アーサーに銃をむけられたこと、触れられない二人でキスごっこ、したこと。全部。
アルフレッドはキクを抱きあげた。
「もう、ごっこじゃなくていいんだぞ」
「……ったくさん、さわってください、ね」
キクがアルフレッドの腕の中で、嬉しそうに目をほそめ、愛しそうに呟く。
その目には涙が光っていて、とくにキクの泣き顔が脳裏に残っていたアルフレッドはあわてて冗談をいう。
「その台詞なんだか変態みたいだな!」
「……もう」
アルフレッドの腕の中で顔を真っ赤にしたキクにこづかれた。
もう彼の涙は引いていた。
アルフレッドはキクをおろすと、軽いキスをした。二人して顔を見合わせて笑う。
綺麗な庭のまんなかで、二人はようやく手を繋いだ。