Just Like Heaven 8-恋人はゴースト-.
東洋の異常者ってのを久しぶりに見た。
チャイニーズだろうか、とはアーサーの偏見だろうか。チャイニーズは仙人だの桃源郷だのとやたらと非日常だからだ。
一発発砲してしまったライフルから立ちのぼる煙を払い、ひとまず棚に仕舞い鍵をかける。
「アーサーの野郎ー、さっきの銃声はなんなんですか?」
「なんでもねェよ、もう大丈夫だ」
奥からピーターが出てきた。どうやらビデオはお気に召さなかったらしい。
可愛いピーター。弟のアルフレッドを守ってやれずに交通事故に合わせてしまったことをを悔やんでいるアーサーにとって、いまはピーターがすべてだ。
おなじく奥に行けと指示していた妖精も銃声に驚いたのか出てきて、アーサーにまとわりつく。
それは昔からの妖精ではなく、先日出会ったばかりの妖精たちだった。警戒させてしまっただろうかと少し心配するが、彼女らは鈴のような声音でアーサーに話しかけてくる。
『アーサー、大丈夫?』
「ああ、心配かけたな」
「また独り言ですか」
ピーターが子供の癖に呆れたように言う。
自分はさっきの東洋人みたく異常者なわけではない。とはいえ彼女たちはアーサーにしか見えたことがない。
『あれれ?さっきの二人は帰っちゃったの?』
「何言ってんだ、訪ねてきたのは一人だろ」
小柄でおとなしそうな若い東洋人。
アーサーのことはきちんと調べてきたんだろう、そういうのはああいう輩の専売特許だ。
どうして”あいつ”とのことを知っているかはわからない。
アルフレッドはアーサーがいくら言っても友人を選ばなかったから、変な輩にその話をしたのかもしれなかった。
『うそよ、二人いたじゃないー』
『そうよそうよ、いたわ。でっかい、めがねの男が!』
『どうして紅茶一人分しか入れてあげなかったのよー』
口々に文句を言う妖精たち。
ポカンと口をあけて微動だにしないアーサーに、ピーターは首をかしげた。
*
余計な時間料金や延滞料金がかかるまえにさっさと高級レンタカーを返してきて、二人はアパートに戻った。
「失敗、しましたね」
菊は堅苦しいスーツを脱いで壁にかける。
「アーサーはね、普段から妖精とか見えるらしいから、自分の目に見えないものは特に信じないんだぞ」
「そういうのははやく言ってくださいよ」
「君がアーサーの秘密を思い出せとか言うから、そんな暇なかったんじゃないか」
アルフレッドはむすっと頬を膨らますと、ベッドに飛び込んだ。
「痛っ、かた、かたいよこのベッド!」
アルフレッドはこの世のものには触れることができずにすりぬける。
床と認識できるアパートの床や、テーブルや、ベッドの底には足がつけるんだろうが、クッションや敷布団はその限りではないんだろう。なにも引いていない床にダイブしたも同然だ。
まったく思慮に欠ける幽体もいたものだ。
「もう、ユーレイも大変だなぁ。……あれ?この写真!」
痛い痛いと騒いでいたアルフレッドが、ベッド横のナイトテーブルに置いていた写真を手に取っていた。
「コレ、オレの写真じゃん。部屋に、置きっぱなしだったやつ……なんでここに?」
アルフレッドの部屋が一カ月契約で貸しだされた時に、彼の親族が個人のものは持ち帰っているから、アルフレッドの私物がここにあってはおかしい。
「ああ、すみません。もうあなたが病院から戻ってこないと思ったんで」
アルフレッドの病室に尋ねたとき、窓際に置いてあったアルフレッドたち家族の写真。その時は、アルフレッド以外の人が誰なのかわからなかったが、今はわかる。
アルフレッドより細身で凛々しい眉をしているのがアーサー、小さな子供がピーターだ。
「……さ、寂しくて、病室にあったのを持ってきちゃいました」
このアパートのこの部屋に置いてあった写真が、アルフレッドが事故にあったことで病室へ旅立ち、菊の手によりこうして舞い戻ってきた。
「君はっ、なんだかわかりにくいんだぞ!」
アルフレッドの頬が赤かった。
気まずい空気になった気がして、話をそらす。
「お兄さんどうですかねぇ……あれで思い直してくださったりするでしょうか?」
「あれで?あり得ないよ……」
ハァと盛大にため息をつくアルフレッド。
「あなたの身体のことでしょう、諦めちゃだめです!」
「もう無駄だよ。万策付きましたって感じ。……それより、キクとなにかしたいな、最後の夜だし」
最後の夜、明日の昼にアルフレッドの心臓は停止させられる。
そのことよりも、その最後の夜を自分と過ごしてくれるということに菊は心動いた。
明るくはあるがどこか哀愁めいた笑顔は、すぐそばにある消滅を思わせた。
「……では、何をしたいですか?」
諦めたくはなかった。それでも、万策尽きたとのアルフレッドの言葉も正しい、アルフレッドにはもう時間もないのだ。
余生を楽しく生きる。
それもひとつの方法で、本人が選ぶからには意味のあることかもしれなかった。
今にも泣きそうになりながら、菊はつとめて笑う。
「二人で一緒に寝たいんだぞ!」
これが正しい!とばかりのアルフレッドの言葉に、照れていいのか蔑んでいいのか菊にはわからなかった。
*
「どうなんですか?」
先にベッドに寝転がっているアルフレッドに恐る恐る尋ねてみる。
アルフレッドはうなりながらベッド上で回転して答えた。
「やっぱり固いんだぞ!でも、寝るだけだしね」
アルフレッドが最後の夜に、と提案したのは、いわゆる添い寝であった。
菊の思い込みでなければ、多分アルフレッドも菊とおなじ感情を少なからず抱いてくれているはずだが、だからといって恋人の段階を踏める二人ではなかった。
なにせ、適うことといえばお互いを見ることと話すことだけ。お互いにふれることは到底不可能であるのだから、必然的にプラトニックとなる。
室内は暖房を利かせていて、シャツ一枚で十分な室温だった。
もちろん布団は使わない、使えば布団をすりぬけるアルフレッドが幽体だと否応なく気づかされるからだ。
「キクも寝なよ」
アルフレッドは仰向けに寝転がって、誘うように手を動かす。
その手につられたように、菊はふらりとベッドに入った。アルフレッドの横にちょこんと横たわる。電気は消さなかった。
一応キングサイズのベッドに二人が向き合って寝転がっている。
「なんだか変な気分だな。ベッドにいるのに何もしないってのは」
「相手が男でも、ですか?」
「キクなら別なんだぞ。多分、たつし」
「……下品です」
両想い、が菊の勘違いでなくて、嬉しかったことは内緒だ。
「ね、手ェ合わせてみてよ!」
アルフレッドがベッドの上に左手を、こちらをむけて置く。
菊はアルフレッドにふれられない、アルフレッドも菊にふれられないことはわかっているだろうに。
「病院でさ、キクがオレの身体に触ってくれたとき、確かに感じたんだ。その後ピーターが身体に触ってもなんにもなかったのに」
アルフレッドの言っている意味が、よくわからなかった。
あれは菊の思いつきがうまくいっただけの話だ。
「もう一回、ふれてもいいかい?」
仮にあの時の感覚を再現するとしても、菊がふれるべきは病院に寝ているアルフレッドだ。目の前の幽体のアルフレッドではない。
だが、その青い目は真摯で、菊は拒否できなかった。
「ど、どうすればいいんですか」
「ほら、こーやって」
アルフレッドの指示に従って、すり抜けるなんて悲しいことを目の当たりにしないように、ふれるかふれないかのギリギリの位置まで菊の右の掌とアルフレッドの左の掌を近づける。
菊のより、ひとまわりもアルフレッドの手は大きかった。
普通はこれだけ近づければ、計らずとも相手の体温を感じることが出来るんだろう。人間の体からは少なからず常に赤外線が出ている。コレだけ近ければ、放出される赤外線により暖かくなるものだ。
菊は掌に集まる妙な空気の流れを感じた。
もしかしたら、意識しすぎた結果のただの錯覚かもしれないが、それがアルフレッドの体温だと、今は信じたい。
ちら、とアルフレッドとひどく近くで目が合い、お互い照れくさくて笑いがもれる。
こんな気持ちもこんな安心感も、妻を失って以来かもしれない。心の奥底ですみませんと一言、彼女に謝っておく。
もう止められないと思った。
「オレ……君とセックスしたいなぁ」
「…………はい?」
雰囲気に合うのか合わないのかよくわからない、アルフレッドの突拍子のない言葉に驚く。
「な、なんだよ、普通だろ。それとも君はこれで満足なのかい?」
妻を亡くしてすぐの頃、触れられなくてもいい、離せなくてもいい、側にいてくれるだけでいいから、と珍しくも神頼みしてみたことがあった。
その時は心の底からそう思ったものだが、今ではアルフレッドが側に居るだけでは満足できていないのか、菊は彼に触れたくてたまらなかった。
「……嫌です。でもそういうのより、キスが、先だと思います」
アルフレッドに口付けしたくてたまらなかった。
金の髪はどんなさわり心地か知りたい、若い肌はどうなのか、胸板は。アルフレッドの唇に触れてみたい、抱きしめられたい。
だけれどそれは、二人とも、ひとつたりとも叶わない願い。
「じゃあキスしようよ!それで我慢するから」
「……しょうがない人、ですね」
ワガママなアルフレッドが我慢するといっているのだから、菊が我慢しないわけにはいくまい。
仰向けに寝転がる菊のうえに覆いかぶさり、ゆったりと下りてくるアルフレッド。
「キク、目ぇ閉じてよ」
「だって、見てないとわからないじゃないですか」
アルフレッドはすねたように唇をとがらせたが、すぐに菊の口に唇を近づけてきた。
ほんの一瞬、やわらかな感触と暖かな唇を感じた気がした、手を合わせたときと同じだ。
もしかしたら、これは目を閉じていたら感じられないものなのだろうか。ただの勘違いなのだろうかと思うと、菊は怖くて結局目はつぶれなかった。
一回だけのキスごっこを終えると、二人は、お互いの掌を合わせる様にしながら、眠りについた。
*
窓から差しこむ朝日がまぶしくて、菊は目を覚ました。
ぼんやりと目を開けると、隣に寝ているはずのアルフレッドがいなかった。
「……!?」
まさか、と菊は思った。アルフレッドの心肺装置停止が、なんらかの原因で早まったのではないだろうか。
そうだとしたら、目下に広がる状況がそれを示しているのなら、もう二度とアルフレッドと会話を交わすことさえなくなってしまう。
キスをしたい、触れたいという程度の話ではない。
端的な表現ではあるが、胸に空虚な穴が広がった気がした。
「ア、アルフレッドさん……!?」
まだこちらの世界に居てくれ、と彼の名を呼ぶ。
すぐに奥から彼の返事が聞こえて、心底ほっとした。
「起きたんだね。どうしたんだい?」
「き……消えて、しまったかと……」
菊はいまこそアルフレッドに抱きついて、その存在を確認したかった。だが、そんなことできれば本末転倒であり、こうした不安にも襲われていない。
アルフレッドは震える菊を困ったような顔で慰めた。昼までは消えてやらないんだぞ!と、誰の目から見ても空元気だとわかる笑顔でだ。
大切な人を二度と失いたくない、それがいまはっきりと菊のなかにあった。
「……私が何をすべきか、わかりました」
「なんの話?」
最後の日はなにをして過ごそうかな、とひとり笑っていたアルフレッドが首をかしげた。
「ここに越してきたとき、死にかけていたのはあなたでなく、私です」
大切な人を失って、自暴自棄になっていた。
「あなたの存在が、私を蘇らせてくれました。……ですから、今度は私があなたを助ける番です」
アルフレッドに救われた。喧嘩腰ながらも言葉を交わすうちに、悲しみも癒え、仕事をする意欲も、前に進む力も得た。
回復した菊に対して、いま危機に瀕するのはアルフレッドだ。
「……なにする気だい?」
「あなたの身体を盗みます」
アルフレッドの身体は病院で生きながらえているが、すぐに病院によって停止させられるだろう。
だが、アルフレッドの幽体はまだこの世に居て、生きたいと願っているのだ。意識を取り戻す可能性が大いにある。
もちろん、それは時間さえあればの話だ。
「盗んで、あなたが身体に戻るのを待ちます」
「そんなの……っ、延命に医学的知識が要る!それに、君が捕まっちゃうぞ。絶対ダメだ!」
アルフレッドが息を呑んだ。
死にかけの病人を本人の了承なく(本当はあるが、幽体からなんて証拠にならない)病院から連れ出す、それは誘拐にあたるだろう。
「……かまいません。少しでも、時間を稼ぎたい。生命維持に必要なことはあなたが説明してください」
医者であるアルフレッドならば、その知識に問題はないはずだ。
「キク!」
「アルフレッドさん。私、頑固なんですよ、ご存知でしょう?……協力してください、時間がありません!」
リミットは昼、もう数時間もなかった。
アルフレッドは菊の熱意に観念したのか、しばらく頭を抱えた後、顔をあげて言った。
「………………でっかいバンと、モラルのない人がいる」
菊は車すら持っていない。
協力してくれそうな知り合いは越してきたばかりのアメリカには少なかったが、一人だけスポットライトを浴びたように菊の脳裏に浮かんだ。
