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Just Like Heaven 7-恋人はゴースト-.




翌日、菊がアルフレッドを乗せて向かったのは少し遠くの由緒ある屋敷だ。
「君、車なんて持ってたんだね」
この幽霊、もとい幽体があたりを見まわしながら言う。乗っているのは好みにより、日本の軽である。
「これはレンタルです」
彼が車に乗れてよかった。透けてしまったらどうやって長距離を移動してもらおうか悩んでいたのだが、アパートといい車といい、どういう基準かよくわからないが例外があるようだ。
屋敷には大きな庭がある。その庭の東部には大きな時計台があり、そこを囲んでくるりと落ち着いた色合いの花たちが並ぶ。黄土色のプランターに花が並び、同心円状にぽつぽつとそれが広がっている。
我ながら形容しづらい、ありきたりな造形だ。
「あなたの病室に家族写真がありましたよね」
「ああ、あった……かな?」
良かった。否定されたらどうしようかと思っていたので内心ほっとする。
「その、恐らく実家とやらでしょうが、そこにキレイに造られた庭が写っていたので。あなたか、ご家族が花を好きだったのでは?」
「そうだね、アーサーがソレ好きだったよ。植物が友だちみたいなもんだった」
思い出すように言ったあと、アルフレッドは、あれ、と首をかしげた。
「……………ここ、来たことある気がするぞ」
ええと、いつだっけな、アルフレッドはそう言ってふたたび庭を見わたして、時計台で目をとめてじっと見る。
「……私が設計したんですよ、この庭」
昨夜、とっさにここのことを口にだしたのは確かだが、後悔はしていなかった。考えていたことでもあったから。
菊はいわゆるエステリアデザイナーだった。簡単に言うと園芸家である。
日本の美徳を押しつけるのではなく、日本人が再現したアメリカの美を売り物にしている。アメリカに置いてあっても違和感のない庭だが、ほんのわずかな差異を気に入ってもらえそこそこ売れていた自覚はあった。
妻を亡くしてから無気力になった菊は、仕事をやめて早々に隠居生活を続けていたのだが。
「本当なのかい?楽しい仕事だろうね。また初めてよ、約束なんだぞ!」
アルフレッドはにかっと笑って、グーに握った手を突きだしてきた。
菊はそれに応えて同じようにグーの手を彼の拳に合わせる。
合わせるといっても実際にくっつけようとすれば透けてしまうのだが、何故だかほんのり彼の手の温度が伝わる気がする。
「ええ、約束します。…………ありがとう、アルフレッドさん」
何もせず閉じこもり、家とコンビニと飲み屋を行き来していた時期は二年もある。だが、最近菊は外に出ることに抵抗が無くなってきていた。人とのコミュニケーションもだ。
ひとえにアルフレッドのおかげに他ならなかった。二年もの間、周囲の人間からフェリシアーノからなにを言われようと、適当にかわしつづけてきた菊だったが、アルフレッドに出会ってからは家から酒場以外にも出るようになり、彼と出会って数週間もたっていないのに働く意欲も現れたのである。
脱無気力、脱ニートの感謝を少しでもと思って、先の言葉だったのだが、アルフレッドは手をつき合わせたまま首をかしげた。
「なんのありがとうだい?」
「……あなたが居ることに、ですよ」
少しできた沈黙のあと突然、空気をぶち壊すポップな音楽が流れた。菊の携帯だった。
脱ニートするならこういうのも一般人に聞かれてもいいものに登録しなおさないといけないな、と思いながら菊は電話に出る。
不動産屋からだった。一ヶ月すればまた顔を合わすだろうと考えていた、あの背の高い女性である。
「本田さん?吉報ですよ!」
冷静な女性だったように思えるが、ずいぶん声が弾んでいる。
「あなたがいま仮契約をしているアパートですが、長期契約が取れるようになりました」
「え、一ヶ月ずつ、というお話では……」
「さぁ、当方ではよくわかりませんが、前の雇用主がいなくなるんでしょう」
話を続けようとした不動産屋をほうって、菊は携帯を切った。
すぐに動きだすべき事態なのはわかっているが、なにも上手く動いてくれなかった、頭も体も。
前の雇用主、アルフレッドが、なんだって言った?いなくなる?……死ぬ?
ばかな、アルフレッドは目の前にいる。正確に言いなおすと、彼の幽体はここにいる。
冷静になれ。彼がいるかぎり、アルフレッドの体……本体は動き出すことはない、その代わりに、死んでいるはずもないのだから。
ならば、いなくなるとはどういう意味を表している?
「キク?どうかしたのかい?」
携帯を閉じて考えこんだ菊をいぶかしみ、アルフレッドがうかがうように顔を覗く。
彼の姿を視認すると、すぐに頭と体が動きだした。
思いのほか近づいていたアルフレッドの腕をつかむ。
「お兄さんの詳細を教えて下さい!」
アルフレッドはまだ、延命装置でかろうじて命をつないでいる。それなのに、来月にはいなくなる。
つまり、お兄さんが延命停止にサインしてしまった、ということですよね?



「眉毛がスゴイ、バラが好き、妖精が見えるとかほざいてる、料理がクソまずい、でも紅茶は上手い。あとは……えーと、ヘンタイで浮気性?」
「そんなんじゃなくて、あなたとお兄さんしか知らないような秘密を!」
アルフレッドと一緒に菊はレンタカーに乗りこんで発車した。住所は聞いたが、アーサー宅はもう五分も走ればつくだろう近場だった。
「そんなのあったかなぁ……っていうか、キク、もしかしてアーサーん家に行くつもりなのかい?」
「そうですけど?」
「こんな車じゃ駄目だぞ!門前払いだ」
菊が借りてきた車は、一般的な日本製の軽自動車だ。特に古めかしいデザインでもボロボロなわけでもないが、なにがいけないのか。
アルフレッドが言うには、彼の兄は格式を重んじる人らしく、昔から彼の友人関係にいちいち口を出すほどだったらしい。
彼らの家系は旧家で、それに見合う、つまり旧家やそれに順ずる家系の友人だけが好ましいと感じているらしく、粗末な服や車、風体で家に訪れれば迎え入れることすらしなかったらしい。まとめると、俺が認めたやつとだけ仲良くしろ、だそうだ。
そんな兄の元に、アルフレッドの紹介もなしに菊ひとりで出向かなければいけない、そのためには少しでも第一印象をよくしなくちゃね!というアルフレッドに導かれ、高級レンタカーを借り、ニートだった2年間、着るはずもなかったスーツに身を包み、菊はカークランド宅に挑んだ。



面倒くさいだろうけど、いいかい、車を降りたところからが勝負だぞ。とりあえず育ちのよさを前面に押しだしながらいくんだ。
アルフレッドの言葉を頭で反復しながら、菊は趣のある門のまえに足を下ろす。
ずいぶんと大きく由緒正しそうな屋敷だ、庭も一度じっくり見てまわりたいほど優雅だ。
それにしてもプロポーズを申し込んだとき並みに緊張する、というのはいささか言いすぎだろうか。
折り菓子は持ってこなくてよかったのだろうか。
「アルフレッドさん、さっきの話、なにか思い出しました?」
育ちのよさ、など言われても少し家が金持ちなだけの一般庶民出の菊、上流階級のマナー、しかもイギリス式などかじるどころかちろりと舐めるぐらいにしか知らないが、必死に思い出しつつ、となりの幽霊に小声で話しかける。
なにせ本人がここにいる証拠をどうにかつきつけないと、菊はただの頭のおかしな宗教勧誘になってしまう。
「うーん……あ、そういえば、あいつ結婚式の日に男とキスしてた!」
ぽむ、と古臭い効果音を彷彿させるように手を叩き、アルフレッドが言う。
マナーマナーと必死になって頭の中で反復していたのが、一瞬で吹っ飛んだ。
「結婚式に!?男性と!?」
「なんだよ、君も男が相手でいいんだろう?」
「……すごく、誤解です……」
「おっと、お出ましだぞ」
アルフレッドの言葉に、はっとして彼の視線の先を見ると、上は白のパリっとしたストライプ、下は形のいいスリムな品のいいズボンの男性が立っていた。
気品溢れる立ち居ふるまいとは裏腹に、その手には軍手がはめられている。
「どうやら庭いじりの途中だったらしいね、こりゃ不機嫌かもなー」
ぽそりアルフレッドが呟くが、そんなことより、この庭が手作りだということに菊は感動を覚えた。
これだけのサイズの家と庭なら、専属の庭師を雇っているのが普通だ。それをこの屋敷の現主人であるこの男性が一人で作っているのか?
知り合って語り合いたい、その欲をかろうじて抑えつつ、軽く会釈をしてあいさつを交わす。彼は怪訝な顔をしたままだが、つい我慢できず口に出してしまう。
「この庭、お一人で造っていらっしゃるんですか?」
「……見てのとおり、そうだが」
「素敵なバラたちですね、私も庭いじりが好きなんですよ。……一度、見てまわっても?」
仲間意識を感じながらそう言うと、アルフレッドの兄、アーサーは気難しそうな顔をふわりと破願させ、快く了承してくれた。
どうやら予期せず第一難関をクリアしたらしい。



広い庭を一緒に見てまわり、少し語りあったあと、嬉しいことに彼からお茶に誘ってくれた。生粋のイギリス人だという彼とのティータイムはとても楽しみだ。
客室に通してもらい、お茶を出されてから、一口飲む。さすが本場は違うとの一言に尽きなかった。アルフレッドの言った、紅茶を入れるのが上手いとのデータは過言ではないようだ。
アーサーの実子であるというピーターもやってきて、子供用のイスに座って一緒に紅茶を楽しんでいる。
「おまえ、アルの友人か?」
一息ついたところでそう聞かれて、菊がYESと答えるまえにアルフレッドが言う。
「こーいーびーとー!」
何故そんな嬉し恥ずかしの嘘を。嫌ですよ。
病院のときと比べて対した理由も彼は言わなかったので、菊は改めて友人だと名乗った。そして車の中で考えた小話をアーサーに話す。
「アルフレッドさんとは病院で、患者として出会いました」
「……病気なのか?」
「あ、いえ、今は彼のおかげもあって、完治しています。アルフレッドさんが治ると信じて治療してくださったから、治り、今の私がいます。……だから、彼も治る。すぐにでも目覚めて、心温まるギャグでも言ってくれるに違いありません。私は信じています。お兄さんも、信じてあげてください」
菊は腰掛けたまま頭を下げた。この思いが少しでも伝わるように願いをこめて。
「サインのこと、知ってるんだな」
だが、頭を垂れたままの菊に返ってくるのは残酷な言葉だった。
「でも、ムリだ。もうサインしちまった。……明日の昼には、アルフレッドの心臓は動くのをやめるだろう」
「では今からでも!病院へ行って、」
説得しなければ、思って頭を上げたが、アーサーは予想以上に苦しそうな表情をしていて、菊は用意していた言葉を止めざるをえなかった。
彼の、アルフレッドの延命を止めることにたいして、一番心を痛めているのはまちがいなく実兄の、この人だと思った。
「俺は、ずっとあいつに無理ばかり強いてきた」
アルフレッドと出会って間もない自分が、これほどに苦しいのだ。
生まれたときから寝食を共にしてきたアーサーが、自分の手で弟の命を断ち切るのが苦しくないわけがなかった。
「聞いてるかもしれないが、俺と弟は離れていた時期があって、再会したときあいつに自分の欲求を押しつけたんだ。どういう服を着てどういう相手と付き合ってこういう人間になれって、事細かに。アルは聞くことが少なかったが」
アーサーは一度言葉を止め、白人の手が真っ白になるほどにカップを握る。
「せめて、最後だけは。一度だけでも、アルフレッドの意見を尊重してやりてぇんだ」
庭について語る最中も、アーサーの表情が変化に乏しいことは良く伝わってきた。自分を律しあまり表情を変えないようなこの人が、いまは泣きだしそうな顔でいる。
太い眉をひそめ、大きな目をゆがませ、痛くて苦しくてつらそうな、そんな表情で。
彼は決断したんだ。大きな苦痛の決断を、長い時間一人で悩んだ末に、アルフレッドの苦痛を終了させることを決めたのだ。
簡単には彼の決意を変えることはできない。
「……アーサー。君が信じているオレの意志は、昔のだ。今のじゃない」
だけれど、菊には簡単に諦めることもできない。
人一人の命が、生き返れるかもしれないアルフレッドの命がかかっている。アーサーの決定には敬意を払いたいが、そんな議論の場じゃないのだ。
自分の意志すら自由に伝えられないアルフレッドは、もがくことも、自分の命を守ろうともできない。
私に課された任務は、彼の意志をアーサーに伝えることだ。
「…………冷静に聞いていただけますか」
初対面の人間のまえで涙まで滲ませるアーサーに、声を落として問いかける。アーサーはそれを隠すようにぬぐって、諾った。
「私、アルフレッドさんの幽体が見えるんです。彼は今ここにいて、生命維持装置を外さないでくれと頼んできます。だから、お願いします。サインを取り消してください」
鬼が出るか蛇が出るか、だが正直に言うこと、それ以外に菊はアーサーを落とす手段を知らない。言うほかにない。
「ちょっと待て」
アーサーはそう言って、菊の言葉を止め、逡巡したのちに、くるりふりかえってアルフレッド、否、アーサーにはアルフレッドは見えない。すぐ横のピーターを見た。
「ピーター、向こうでビデオ見てろ」
「どうしたですかアーサーの野郎?」
「いいから!」
不思議そうに聞くピーターを強制的に隣の部屋に連れていき、アーサーはその扉を閉めた。
どうしたのか、と菊とアルフレッドは顔を見合わせる。
アーサーは表情を固めたまま、棚のカギのついた引き出しを開ける。
子供を押しのけたと言うことは、重い話だと受け止め、聞いてくれるのだろうかと好意的に受け止めたのは一瞬だけだった。
引き出しからなにかをとりだし、振り返るとアーサーはそれを菊に向けた。
ここはアメリカ、銃国家の名は伊達ではないことを菊は思い知る。アーサーが持っていたのはライフルだった。
菊はひゅっと息を呑む、アルフレッドは呆れたようにため息をついた。
「キク、頑張って逃げてね」
「……頭がおかしいらしいな」
「え、ちょ、落ち着いてくださいよ!え、えーっと、あなた結婚式に男性の方とキスしていらっしゃったでしょう?ってアルフレッドさんが仰ってます!」
ここに幽体になったアルフレッドがいる証拠を言い、すぐとなりの空間を指差す。
ちらりとアーサーはそちらに目をそらしたものの、すぐに菊に視線を戻して、カチャとライフルを構えなおす。
「な、なんでテメーが秘密をしってやがんだこんちくしょおおおおおおおおおおお!!」
漫画であればボッという擬態語が描かれていただろうほど、アーサーの顔色は白から真っ赤に変化した。
そしてライフルを振りあげる。
「消えろ異常者!」
ライフルとは一般に撃つための道具であるはずだが、アーサーは肉弾戦に使うようだ。どうにか力をそらしながら受け答えする。
「あっ危ないです、お、降ろして!」
「消えねーんなら、俺の力で消してやる!ピーターには手ェ出すなよ!!」
ライフルを受け止める腕が痛い、これ以上受け止めるのは、なんて思っていたら、ズドンと音がした。
弾が菊のすぐ隣で事態に呆れて慌てていたアルフレッドを通過する。幽体でよかったってはじめて思った。
アルフレッドがふるふると首を横に振る。どうみても不可能のサインだ。
「−−−っ!!お、お邪魔いたしましたーーー!」
菊はアーサーの持つライフルに警戒しながら、一目散にカークランド邸を後にした。
庭好きの友人だと認識しつつあったアーサーに、異常者扱いされてしまった。
どうしよう、アルフレッドの身体を生かしておくための、最善で唯一の手段だったのに。








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このシーンだけは悩んだ。さすがに原作の仲良し英日を覆していいものかなぁ、と思いまして、ギリギリまでアルと菊逆にしようっかなーとか考えてました。
ただ元ネタほどピーターが生かせなかった……!

09.12.23