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Just Like Heaven 6-恋人はゴースト-.



どうすれば、合体ってやつはできるんだろうか。
三ヶ月間離れていたものが、すんなりと元に戻るのはさすがに都合がよすぎるかもしれない。
頭をかかえて自分を見れば、すやすやと寝ている。機械にからまれながらでしか自分は生きてはおけないらしい。それも特別悪いところもないのに、三ヶ月も意識が戻っていない。
この条件下で、意識が戻ってきた症例は?アルフレッドは医師時代の記憶をどうにか手繰りよせる。ゼロに、近いことは確かだった。
ずっと傍にいれば自然と元に戻れるのだろうか。
菊には残るとは言ったものの、ただここにいるのもヒマである。どうやって時間をつぶそうか、考えていると扉が開いた。
まさか、キクが戻ってきた?なんて思ったが来たのは全く別の人だった。
「アルフレッド」
嬉しそうな、だが泣きそうな顔で入ってきたのは、短い金髪に太い眉毛の男。そして一人の子供。
懐かしい顔に記憶がよみがえる。そうだ、彼はアルフレッドの兄。そして甥のピーター。そのまま彼らとの懐かしい思い出をアルフレッドは思い出した。
子供がかけよってきて、身体の眠るベッドにダイブした。
「さっさと起きろですよー!アルフレッド」
あれ、なんでピーターがのしかかってきてもなにも感じないんだ。菊のときは手に触れる感触がきちんとわかったのに。ていうか君、オレの身体もっと大事にしてくれないかなぁ。
本来ならひっぺがして拳骨でもくれてやるところだが、どうせ触れも見えもしないなら意味がなさそうだ。
それより、アーサーなら見えるかもしれない。
兄弟だから絆とかで見える、とかそんなんじゃなくて、この兄は普段から妖精だか幻覚だかとコミュニケーションを取っているからだ。
「アーサー!ねぇアーサー、オレだぞ、オレ!アルフレッド!」
叫ぶも、アーサーの反応はない。遊ぶピーターに注意するぐらいだ。
しばらくも立たないうちに、上司のルートヴィッヒがやってきた。担当はバッシュじゃなかったのか?と思いつつもそばに寄って、兄と彼の話を堂々とぬすみ聞く。
「我々の仲間であるアルフレッドを救うために、当病院は尽力してきました」
本当かよ。
ルートヴィッヒは続ける。
「だが事故から3ヶ月。彼は一向に回復する気配がないのです。アルフレッドのバイタルサイン……生きる力は徐々に落ちている」
認めたくはないが、正常な判断だ。アーサーは顔色を悪くする。
「大変、申し上げにくいのだが…………アルフレッドの延命を、いつまで続ける気がありますか?」
「いつまでって……外せってことか!?」
「今は彼を、無理矢理生かしている状態です。3ヶ月も経ったいま、目覚める確立は低い」
アーサーは泣きそうな顔をした。ルートヴィッヒは淡々と続ける。懐から一枚のレジメを取りだした。
「事故のまえに行った意識調査の結果、彼は延命措置を望んでいなかった」
それは!目覚める見込みがないときの話で、いまは違う。
オレはここにいる。オレが身体に戻れば、絶対目覚めるのに!
「アーサー!今のオレは延命を望んでいるんだぞ!昔よりも今の意志を優先しろよ!」
アルフレッドは先ほどとは比べ物にならないくらい、切羽詰まって訴えた。
「君、オレの姿が見えないってんじゃないだろうね!妖精は見えるくせに幽霊とか幽体は見えないのかい!?余計なものは見えなくていいから、オレを見ろよアーサー!君、兄バカ加減じゃ誰にも負けないだろ!?」
目と鼻の先で叫んでも、アーサーはわずかにさえ反応しない。
ただ、延命装置の解除、そんなことを言いだしたルートヴィッヒを、あたかも親の仇のようににらみつけている。
否、今はまさに弟の仇になるかもしれない彼を。
刑事という職業ゆえにマフィアと正面衝突することも少なくないアーサーのドスの効いた睨みだが、ルートヴィッヒもルートヴィッヒで、どこぞのマフィアと交流があるせいかひるまない。
「彼を思うなら、外してあげることが一番かと思うのですが」
「てめェ……人に弟殺せってぇのか?」
「Mr.カークランド、我々は事実を言っているだけだ」
アーサーがルートヴィッヒの襟を片手でつかむ。
あのいかつい顔が歪んだので、アルフレッドは慌ててアーサーを止めようとした。
当然、虚しく空を切って、今のアルフレッドには兄を止めることさえできない。代わりに、なんの影響も与えないが、叫んだ。
「アーサー!」
アルフレッドの声が届いたわけではないだろうが、兄はゆっくりルートヴィッヒから手を離し、頭を抱えてうなった。
「……少し考えさせてくれ」
「Mr.カークランド、時に延命は残酷です」
「考えさせろっつってんだよ!俺が許可しないかぎり、絶対勝手な行動とるんじゃねーぞ」
ふたたびのど元をつかまれ、乱暴に手を離されたルートヴィッヒは咳き込む。アーサーはピーターを連れて病室を出た。扉をしめる前、寝ているアルフレッドに口パクで何かを言ったが、アルフレッドにはわけがわからない。
それよりも、もしアーサーが許可してしまったらどうすればいいのか。
するわけがない、あの兄バカが、そんな許可するわけが。でも、あの様子じゃ。
アルフレッドはアーサーの兄バカ具合を信じていたから、許可するかもしれない可能性を考えてなかったから、その衝撃は大きかった。
オレはここにいるのに、オレの知らないところでオレの命が断たれてしまう。
やめさせなければ、だけど医者にも実兄にも、姿や声どころかたったひとつの願いすら伝わらない。
今のアルフレッドが頼れるのは、たった一人だ。



菊はとぼとぼとアパートに帰った。
はじめは一人のつもりだったが、常に陽気な幽霊モドキが傍にいて騒がしかったせいで、なんだかもの悲しい。
コポコポコポと水音がして、菊は自分がコーヒーを入れていることに気づいた、それも二人分。
どこに行っても緑茶派の自分が、コーヒーとは、ずいぶんほだされたものだと思った。
二杯も入れてしまってどうしようか、腹がガポガポになろうが飲むしかないか、諦めていると、ピンポンとチャイムが鳴った。
慌てて扉を開けると、いつぞやのヒゲ面がそこに立っていた。アルフレッドの存在を尋ねまわったとき知り合った真下の部屋の人である。心の中でなんと名づけただろうか、ヒゲダンディ?ヒゲ男爵?エロヒゲオヤジ?ヒゲチョビン?確か、フランシスとかいう名前の。
「ごめーん、鍵なくしちゃってさぁ。キクちゃん、業者くるまで入れてくれねぇ?」
寒いんだ、とダンディーヒゲもといフランシスは言った。
そんな彼を見て、コーヒーの処理方法が決まったな、と菊は部屋に招きいれた。
リビングに通すと二つ入れてあるコーヒーを見て、あれおキクちゃんもしかして俺の訪問期待してたの?とフランシスはにやつく。
「私はどこぞの超能力者ですか」
「いやいや愛の力だよ、うれしいなあそんなに思ってくれてたなんて」
「ご冗談を」
「今度お礼にお菓子持ってくるよ、できたてのやつ。どうやらうちの店好いてくれてるみたいだし?」
「……少々お待ちください、和菓子でも出しますから」
コーヒー飲んだら自室に閉じこもってじっとしていよう、少々肉体的にも精神的にも疲れる日だったのだ、正式な客人ならともかく突然訪れた彼をそうもてなす義理もあるまい。
そんな少々薄情なことを考えていた菊だったが、某有名洋菓子店専属パティシエの味覚的に甘い話にみごと乗せられ、置き買いしてあるものを頭の中でリストアップする。和菓子ひとつであのすばらしい洋菓子が食べられるなら安いものだ。
フランシスからのトイレ借りるぞ、との言葉に適当に返事をして、羊羹を見つけた菊が皿を探してふりかえると、予想外の人を目にする。
アルフレッドがいた。
その形相は陽気なものでなく、怒っているものでもなく、昼間病院で見たような、彼には似合わない悲しげな顔だった。
フランシスはトイレにいったばかりだ。菊は小声でたずねる。
「身体のそばにいるんじゃなかったんですか?」
「身体が……、医者がオレの延命装置をはずそうとしてて。アーサー……兄が許可証にサインしそうなんだ」
「……え?」
「……誰にも、オレの声は届かないんだぞ」
「アルフレッドさん」
菊が励ましの言葉をかけようとしたとき、奥からフランシスが呼びかけた。
「キクちゃーん?」
「ちょっとお待ちください」
反射でそう返すが、目の前のアルフレッドがまとう空気は一変していた。
悲しげな意味で痛かった空気が、いまは、菊を刺すような鋭さと冷たさを有している。
「……お楽しみ中のようだね」
「なんだか、おかしな想像をしてませんか?彼が勝手におしかけてきたんですよ、鍵がないとか言って」
「そのわりには、もてなそうとしてないかい?」
アルフレッドが指差したのは、菊の手の中にある黒い羊羹。こちらには普及していないものだが、食べ物だということは分かったらしい。
いえこれは食べ物に釣られて、菊が言い訳するまえに、またフランシスの呼ぶ声がする。
「キクちゃーん、どーしたのー?来ないのー?」
「ほら呼んでるぞ、行ってくれば?」
「あなた……勘違いしています。彼はただ、自室の鍵をなくしてここに来ただけです。そして、トイレに」
「そのわりには、寝室から声が聞こえるぞ」
見れば暗いはずの寝室から明かりがもれている。菊は帰ったばかりでリビングとキッチンしかライトをつけた覚えはない、フランシスがバスルームではなく寝室にいるのは間違いなかった。
そしてそこからフランシスが顔をのぞかせた。驚くことに、上半身裸で。いつぞやアルフレッドが放った、君ケツ狙われてるよ!との言葉が菊の脳裏をよぎる。
欧米人らしいがっちりとした、憎らしいほど魅力的な肉体+毛で、フランシスは恭しげに笑う。
「……キクちゃんが一人で喋ってるのは、俺の部屋にもよく聞こえているよ。寂しいんじゃないのか?」
言って、フランシスは菊に近寄り、アルフレッドをすりぬけて半分裸体で抱きしめてきた。
菊は戸惑って、二人の顔を見比べる。
「この間のキスの反応からして、キクちゃんまったくのノンケじゃないよな。だったら俺と楽しまない?」
「私はノーマルです、遠慮します」
「やっぱりこいつ、ゲイじゃないか!」
口に軽いキスをされて、菊は固まる。
「俺とどうよ?」
フランシスはにんまりいやらしい笑みを浮かべた。
固まった菊を見て、アルフレッドは呆れてやれやれと手を広げ、菊に言う。
「ヤレばいいぞ、キク」
「な、なに言ってるんですか?」
菊はアルフレッドの言葉に反応したのだが、それを知らないフランシスは菊を口説こうとする。
「人は誰しも性欲からは逃げられないんだぜー。……あー、先に薬とか飲む?それくらいお兄さん気にしないけど」
「ほら、理解があるじゃないか君に」
「こんなの理解でもなんでもありません、って、アルフレッドさん!?」
アルフレッドは、フランシスに抱きしめられて動けない菊を置いて、すたすた歩いていく。
最後にふりかえって、「勝手にやればいい、そいつ認めたくはないけどいい男だぞ」言って、消えた。
なんでこんな面倒なことに、菊がその元凶を見やれば、ニコリ笑った。
「俺の名前はフランシスだけど?」
NOというのは苦手なのに。
菊はこの図々しい男をおいはらう労力を考えて、深いため息をついた。



「アルフレッドさん」
フランシスを追い払って、屋上にきた。
いつぞや、逆のような立場で彼とここにいたことを思い出す。
あの日もこんな夜だった、澄みすぎて、少し肌に痛い冷気。町が明るすぎて星が見えないのが残念でならない屋上だ。
「……ずいぶん、はやかったね」
「何もありませんでしたから」
「どうしてだい?彼なら慣れてそうで楽じゃないか」
町の明かりでアルフレッドの顔は見えるが、いつもはわかりやすい彼がどう思ってるのか菊はよくわからなかった。
果たしてその原因はアルフレッドにあるのか菊にあるのか、菊が知るよしもない。
「……私には、大切な方がいると、言ってきました」
ぼそりと言うと、アルフレッドが虚をつかれた顔をする。
菊は心の中だけでそっと、妻に、否、元妻に謝った。
「…………私にしか見えない方です、とは言いませんでしたけれど」
あなたが死んだとき、一生あなたを思いつづけるとの誓いを取り消すわけではないのです。今もこれからもずっとあなたが私の妻であることに変わりはない、ですが、他の人を思うことも、前に進むことも許してもらえませんか。
多分あなたはむしろそうしなさいと言ってくださるのでしょう。今までの私に、人を愛するだけの勇気がなかっただけで。
数年来の鼓動の高まりを感じながら、菊はアルフレッドの反応を待つが、彼は軽く嘲笑するだけだった。
「嘘だ。だって、君、軽い男は嫌いなんだろう?」
「そうですね、だからフランシスさん嫌いです。昔のあなたもそうらしいです。ですが、いまのあなたが軽いかどうかは私にはわかりません」
人の年甲斐もない決死の勇気をよくも、菊は続けた。
「……妻の死以来、私はどなたとも交際を持ったことがありませんでした」
「ハッ、男とも?」
「私の性欲は女性にしか働きません!……どうやら、あなたには稼働するようですが」
顔がほてる。アメリカに長く住んでいるとはいえ、菊は生粋の日本人だ。
ストレートに好意を示されるのも苦手だし、示すのもたいへん下戸だった。
「キク……オレは、普通に女が好きだよ」
「知っていますとも、私もです」
「オレ、幽霊なんだぞ」
「違います幽体です。目覚める可能性が……大いにあります」
あなたはまだこちら側の人間なのだから、そう伝わることを願って彼の顔を見つめる。
返ってきた弱々しい目に菊はたじろぐ。
いつだって太陽のように喜怒楽がくっきり明快な彼の、珍しい哀の表情は本日何度目かにもかかわらず、慣れそうになかった。
「サインなんてしてもしなくても同じだよ。3ヶ月も昏睡状態だったオレの脳波はどんどん弱ってく」
アルフレッドは哀の声でつぶやく。
「あなた医者でしょう。医者ってのは頭いい生き物なんですから、多少バカになったらちょうどいいのでは?私と同じくらいになったら目覚めてください」
「君はバカじゃなくて、怠け者なだけだ」
「怠け者ですか、まあニートですからね、社会のガンっていう」
「でも、キュートな怠け者だぞ!」
面食らって、ありがとうございます、菊が言うと、また沈黙が生まれる。
でもそれは、重いものではなかった。現にアルフレッドは自然に、景色に視線をめぐらせている。
真っ暗な空の下に広がる、きらびやかな明かり、ネオンは少しずつ消え、背景に同化していく。
「お兄さん……サイン、しませんよね」
「わかんない」
哀ではなく、喜怒楽でもなく、困惑したアルフレッドの顔。
似合わないその顔を見ていられなくて、つい口にしてしまった。
「……それはそうと、見せたいものがあるのですが」
菊が微笑むと、アルフレッドもつられたのか少しいびつな笑顔を返してくれた。







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精神病患者を精神的な意味で襲おうとするお兄さん。
フランシスこんな役柄でごめんね。多分いつか再登場すると思うから!

09.12.6