Just Like Heaven 5-恋人はゴースト-.
幸い、彼はゲイではなかったようである。
アルフレッドが持つ水色のカードに菊が手を伸ばすと、驚くことに触れることができた。んな馬鹿な。幽霊が触れられたものに人間が触れられるなんて。
思って、菊はカードをふたたびアルフレッドに触れさせようとした。するとすり抜けた。
アルフレッドがとりよせ幽質化したものの、私が手に取ればすぐに物質化してしまい、幽体のアルフレッドはもう触れることができない?とっても適当な設定ですね。
そこは会員制のクラブでそこそこ警備体制はあるらしい、他人のメンバーズカードを持ちこんだ菊に尋問をしにきたママさんとやらにかいつまんで説明し、ああ無論、幽霊がどうたらということは避けたが、アルフレッドを知っているかと尋ねると、ああ彼ね!とママさんは乙女チックに頷いた。
助かりましたお姉さん、男前な青ヒゲと鎖骨が少々邪魔ですけど。
「アルちゃんねぇ、女の子つれてよくここに来てたのよー。最近はこういう場所もノンケウケがいいし、そーゆう子も少なくないんだけどね。カッコよくてお姉さんたちにもレディ・ファースト使ってくれたから、そりゃあ人気があったわよ。なびいてはくれなかったけど」
「レディ・ファーストって・・・君ら男だろ・・・」
「そうですか」
話を続けつつ菊を抱きしめようとするママさんの手を逃れて、どうにかそのゲイバーをたち去ろうとした、そのとき。
悲鳴が聞こえた。きらびやかな店内が、まったく異質の騒がしさを有した。
興味を覚えて輪になっている中心をのぞけば、人が倒れている。ママさんが必死で叫ぶ。
「キャロラ、救急車呼びなさい!この中にお医者様はいらっしゃいませんか?」
さすがにそんな高確率で医者はいないらしく、だれも名乗りでない。客は野次馬的にまわりにたかり、店員たちもどうすることできず救助を要請したあとは立ち往生していた。
悲しいですが、いてもどうしようもない、立ち去りましょうか。そうアルフレッドに声をかけようとすると、彼は一心に、騒ぎの中心、つまり倒れた男性を凝視していた。
どうしたんだろう、そんな悠長なことを考えていられたのはここまでで、アルフレッドの次の一声で菊はおおわらわだった。
「・・・っ胸をさわれ!キク!」
「はい、って、え?私がですか?どなたの?どこを?」
思わず返事をしてしまう。
「そうだ、さわるんだぞ!患者の、肋骨付近!」
アルフレッドは珍しく真面目な表情で倒れた人にかけよる。菊も慌てて後を追った。
「ど、どどど、どいてくださいー!」
患者、のシャツをはいで胸を露出させる。男の人でよかった、と思いながら、アルフレッドの指すあたりに恐る恐るてのひらを置いた。
「弾力は?」
そう言われてはじめて男の胸を押さえつける。予想外の強さで押しかえされた。
「・・・強いです」
「やっぱり、緊張性気胸だぞ。誰か、ウォッカとナイフを!」
アルフレッドは周囲をみわたして叫んだが、当然彼の声も姿も見えるわけもなかった。菊は慌てて彼の言葉を反復する。
「き、きんちょーせーきこーです!」
「ちがう、緊張性気胸!ウォッカとナイフ!」
「緊張性キキョウ!どなたかウォッカとナイフをください!って、えええええちょ、私が切るんですか!?」
「そう!人の命が懸かってるんだぞ!」
怯えてる場合じゃないよ!そうアルフレッドに言われ、傍らにはママさんが大急ぎでウォッカとナイフを調達してきてくれていた。
野次馬たちがみんな、自分の一挙一動を見つめていた。こういう時、自分と彼らの立場を入れ替えたくなる。
本当に羨ましいです、傍観者でいられること。
でも。おそらくこれは、自分が切らなければならない空気とやらで。
菊はアルフレッドに言われるままに男性の体にウォッカをかけ、ナイフを握った。握った手が震える。
医者でもなければ医療的知識が人並み以上あるわけでもなく、人を傷つけたいという欲望をカケラも持っていない自分が、結果的には助けるためとはいえまさか自主的に人を切ることになろうとは。
「一刻を争うんだ、はやく!」
「・・・わかっています!」
間違えてしまったら、どうするんですか。そんなことを聞けるような雰囲気ではなかった。おそらくアルフレッドは医者やら救急隊員やらその類の人なのだろう。
目をそむけながらではあったが、倒れている男性の胸にナイフを押しつけた。
騒がしかった野次馬も押し黙り、時間が永遠にも感じられた。
菊は肉の切れる、人体にめりこむ嫌な感触を覚えた。ぷつり、ナイフの先から血が緩やかに流れだしてくる。
ある程度押しこむとアルフレッドがもういいんだぞ、と言ったのでそろそろと抜く。張った胸から、スーっと空気の抜ける音がした。同時に男性の呼吸も再開する。
「もう大丈夫だろ」
「もう・・・大丈夫です」
放心したまま、アルフレッドの言葉を反復すると、野次馬から歓喜の歓声があがった。
「オレ・・・医者だ!」
「私、医者です!」
思わず彼の呟きを真似してしまい、野次馬から奇妙な目で見られる。ずっと周囲に気を配るなんて余裕がなかったから、今までずっと菊の一人芝居に見られていたことだろう。
大きな作業を終えて、菊としてはもうこのまま意識を飛ばしてしまいたかったが、アルフレッドがせせこましい。
この状態からもうひと頑張りしろということか?菊はあらためて医者の偉大さを実感する。
「一番近い病院はどこだい?」
「一番近くにある病院はどこですか?」
ふりかえって、心配そうなママさんに尋ねると少し思案した後、「カーライル病院」との答えを得る。
「ではそこに搬送してください」
しばらくして救急車が到着し、救急隊員にアルフレッドの言葉を反復して伝えて、救急車を見送った。
菊は手に残った、生々しい感触を思い出そうとする。あの気味の悪い感触を受けて、あの得体の知れない恐怖と戦いながら、医者は患者を救い、患者は医者に救われるのだと。
当然のことではあったが、一般人の自分には衝撃的なことであり、証拠にまだ手が震えていた。
「私・・・はじめて人を救いました・・・」
「だろうね」
呟きに答える彼の言葉にいつもの調子がない。どうしたのだろう、自分より上にあるアルフレッドの顔を見やると、すぐさま目があった。
「カーライル病院って、オレが勤めてた病院だ。・・・・って、キク!?」
もっとはやく言ってくださいよ。
気疲れか、菊はそのまま道路にぶっ倒れた。
幸運なことに自分はすぐに目覚めたらしい。
自分への心配よりあきらかに、はやく仕事場にいきたいという気持ちが勝っているアルフレッドを見てとび起き、また観光マップを片手にその病院へと向かった。
なかなかに大きな病院だ。4階建てだから、ベッド数は相当の数で医者もまた同じだろう。
だが、アルフレッドが勤務していたはずなのはたった4ヶ月前だし、名前までわかっているのだから見つからないわけがない。自分の死体やら身分証明書でも見れば、アルフレッドも自身の死を実感するだろう。ここで終わりかと思うと、少しだけ煩わしい感情もわく。そういえば、彼のおかげか、越してきてからさほど鬱状態になった記憶がなかった。
緊急医療が発達しているのだろう、次々に患者が運びこまれて忙しそうな雰囲気ではあるが、中に入ればゆったりとしている患者も多いし医師も多かった。
アルフレッドは菊と共に、はじめてきたかのようにきょろきょろと周りを見わたす。だが収獲はあったようだ、彼の目も表情も生き生きしてくる。彼の目は主に、せわしなく歩いている医師にむけられていた。
「サディク、トニー・・・ナターリヤに、ルートヴィッヒじゃないか・・・!」
見知った顔なんだろう、声をかけるも、やはりその姿は菊にしか見えないらしい。無視というか、すり抜けていかれている。
菊は少しだけゆったりと歩く医師に声をかけた。少し小柄な印象のある医師は、眉間にしわを寄せたままふりかえった。
なんと愛想の悪い。不機嫌そうな声色で医師は言う。
「・・・なんでしょうか」
「こちらに、アルフレッド・カークランドという医師はいらっしゃいませんか?」
医師はますますしわを深めた。アルフレッドが背後で、げぇ、と驚く。同僚のバッシュだ、と。
「・・・奴とはどういう関係で?」
どう答えようか躊躇すると、「恋人!」とアルフレッドの声。
何故ですか私男なんですけど!?と視線を送れば、「親密な相手じゃないと教えてもらえないんだぞ!大丈夫、アメリカじゃよくあるよくある!」
と耳に小声でささやいてくる。余計な心配しなくても菊以外にアルフレッドの姿は見えなし声も聞こえないのだけれど、懐かしい病院の雰囲気に飲まれたのだろうか。
つきたいため息を飲みこんで、しぶしぶバッシュとやらの質問に答えた。
「こ、恋仲にあります」
頬がほてり、声が動揺してしまったことは許してほしい。
不機嫌そうだったバッシュの顔が、少しだけ、驚きのものに変わる。
「あやつと、か?あなたは女なのであるか?」
「いえ、男です」
「・・・信じられん。男に走るほど女に不自由しているようではなかったがな、それに特定の奴を作ったようなことも聞いていない」
ふむ、とバッシュは腕を組んでつぶやく。だが菊相手に発した言葉ではなかったようだ。
「すまない、無神経だった」
紳士に謝られても、こちらは嘘をついているだけだし、正直、返す言葉はない。ひとまず得意の鉄仮面笑顔で対応する。
「それで、アルフレッドさんは・・・」
「ああ。往来でできる話ではないな、奥に行こう」
そう言ってバッシュは菊の返事を待たずにエレベーターに乗りこむ。菊は菊で、この人の敬語は一瞬だったな、基本は軍人口調かと不謹慎なことを考えつつ後を追った。
「奴は・・・事故にあったのだ。3ヶ月ほどまえのことだが、何も知らないのか?」
バッシュがいぶかしむような視線でこちらを覗きこんでくる。
「キク・・・オレ、思い出した。ひどい、事故だった」
後ろでアルフレッドが呟く。菊のことを疑っているバッシュの前で、ふりかえるのは得策ではない、そのままどうにか自然な嘘を考える。
「急な転勤でして・・・先週、戻ってきたばかりなんです。彼とそういう仲になって間もないですから、彼と共通の知り合いもいませんし、連絡がつかなくて心配していたのですが・・・まさか事故だなんて」
菊は眉をひそめた。今ここだけ自分は役者!好きで騙しているわけじゃない。言い聞かせて精一杯、悲劇の恋人ぶる。
同情するという意味合いだろう、バッシュが静かに目を閉じる。だが、すぐに意志の強い瞳は開かれた。
「生きてはいるが、事故以来意識の回復はない。少しだが、会っていくのである」
そう言うと、またもや菊の意志の確認などせずに、バッシュはアルフレッドの病室らしきところに案内してくれた。
なんと驚くことに、彼は死んではいなかったのだ。菊はICUと書かれた真っ白な個室に足をふみいれて思う。
バッシュは気をつかったのか、それとも単に仕事があるのか案内するとすぐに部屋をさっていった。ここにいるのは菊とアルフレッドの幽体と身体のみである。
部屋は白かったが、誰にも見舞われていないわけではないらしい、物はあった。
ベッドの横の机やら台やらに、ぬいぐるみやら、グラスやら小型ゲーム機やら、家族と一緒なのかアルフレッドの移った写真やらが並べおいてある。彼の笑顔は幽霊、否、幽体になる前も後もいっさい変わりなく、真夏の晴れ空のようにさっぱりしている。横には少し小さな男性と、少年が移っている。家族だろうか、友人だろうか。
幽体のほうのアルフレッドは、それらに見向きもせず自分の身体を覗いた。
「オレだ!」
「ええ・・・本当に、あなただ」
「Oh my god,,,,,,,,,,」
「生きて・・・いらっしゃったんですね」
幽体の彼より、顔色が悪い。それでも呼吸器の力を借りてはいるが、確かにその体は静かに呼吸している。確かに、生きているのだ。
「目覚めないのはきっとあなたが離れているからですよ。融合してみては?」
「そうだな!どうやってだい?」
興奮した顔でアルフレッドが尋ねてくるが、知るわけがない。
「・・・文字どおり合体してみてはどうでしょうか」
アルフレッドは言葉に従って、そろりとベッドにのり、寝ている身体と合わさるように寝転がる、彼らの体はひとつになった。
「・・・アルフレッドさん?合体出来ましたか?」
彼とのおもしろ煩わしい生活ともおさらばだろうか、ドキドキしながら尋ねたが、幽体のアルフレッドの手が本体からにょきと離れた。
すぐに彼は上体を起こし、不機嫌に口をとがらす。
「戻れないんだぞ!」
「さすがに、3ヶ月も離れていればそんなものですかね」
「落ち着いてるなよ!」
「当事者でない私に、慌てふためけと?」
アルフレッドはめげずに、自分の身体に頭から飛びこんでみたり、キスしてみたり、口から入ろうとしたり試行錯誤したが、彼は相変わらず二人いて、もう一人が動きだすなんてこともなかった。
アルフレッドは病室の床に膝をつき、うちひしがれる。小さな声でつぶやいたのは神への祈りだろうか、とにかく絶望の淵にいるのに違いはなかった。
「オレは死んでなくて、ちゃんと身体も見つけて、それなのになんで・・・戻れないんだよ」
「まあ、まだ時間はありますし」
「君にはわかんないかもしんないけどね、3ヶ月も意識がないなんていつ死んでもおかしくないんだよ!」
アルフレッドはヒステリックに叫んだ。医者の言うことだから、それは正しいのだろう。
「ではなにか行動しましょう」
「何をやるっていうんだい」
「・・・医者はあなたですよ?」
「それは、そうだけど」
幽体が身体に戻るにはどうしたらいいのか、菊は考える。
以前まとめて読んだ本に方法はのってなかっただろうか。大抵の場合、戻りたいと願ったり身体に入れば戻れていた。試したので却下する。
じゃあ他には?霊媒師的な人が出し入れする。インチキはもうこりごりだ、本屋の英雄青年は交信しかできないと言っていた。思い出せ本田菊、記憶をたどるも、どうにも該当部分は見つからない。あらたに記憶の中の本をめくると、余計なものを思い出してしまった。
幽体が長期間離れていると身体は弱り、死に至る。
そんなのマンガから得た知識だ、菊は懸命にふりはらう。代わりにアルフレッドに声をかけた。
「なに」
彼には力がなかった。まえの彼は幽霊、正確には幽体だったが、には到底思えないような力強さがあったが、いまは誰が見てもまさに生気のない、幽霊である。自分にしか見えないのだけれど。
「・・・少し、後ろを向いていただけますか?」
奇妙な顔をするが、逆らうほど元気がないらしいアルフレッドは素直に従ってくれた。
後姿のアルフレッドを視認しながら、寝ているほうのアルフレッドの右腕にそろりと手を伸ばす。触れたまま、彼を見ると、右腕を押さえて吃驚した顔だ。
「感じますか?」
「ああ・・・暖かかった」
「身体に触れたら、離れた幽体のあなたに伝わった・・・あなたと身体はまだつながっているという証拠です」
アルフレッドは驚いた表情をまた神妙なものに戻して、身体とむきあう。
「戻れます。あなたと彼が途切れないかぎり、きっと・・・だから、泣かないでください」
「泣いてないよ」
「これから泣きそうだから言ったんです」
「ヒーローは泣かないんだぞ」
「アルフレッドさん!」
声が震えはじめてるの、自分でわかっているのでしょう?菊が言う前に、ガチャリ、ドアの開く音がした。バッシュだ。
後ろには彼よりずっとガタイのいい医師も控えている。
「・・・すまないが時間なのである。また今度にしろ」
「あ、はい。・・・お別れを言いたいので、もう少しいいですか?」
バッシュは眉をひそめてドアを閉めた。外で「お前はいい加減、敬語を使え!」と怒鳴られている声が聞こえた。うるさいのであるとすぐにバッシュの声が聞こえたから、注意したのはガタイのいいもう一人の医師だろう。
菊は窓際にあった写真を手にとった。晴れやかなアルフレッドの笑顔。菊がアルフレッドと出会った当初は、そこそこその笑みを見ていた。が、自分が幽霊だと――実際は死んでおらず幽体だったが――気づいてからはあまり見せなくなった、幼い笑み。
「この写真は?」
「アパートの寝室にあったやつだよ、誰かが持ってきたんだろ・・・」
アルフレッドは、まだベッドにすがっていて動こうとしない。
「アルフレッドさん、そろそろ時間です。戻りましょう?」
「自分の体、ほっといて帰れないよ」
微動だにせず、アルフレッドは言った。
「それでもあそこは、アルフレッドさんの家でもありますし。・・・一緒に帰りませんか?」
「悪いけど、一人で帰ってくれるかい?せっかく見つけた身体だ、離れたくない」
菊がなにを言おうと、彼は動きそうになかった。
もう一度バッシュと医師がやってくる。面会時間とやらを過ぎているせいか、イライラしているようすだった。
返事をしてICUを出ようとする。最後に、もう一度二人のアルフレッドを見た。慣れ親しんだ彼の背中は、妙に小さく見えた。
「アルフレッドさん、さようなら」
動かない彼を見て、菊は思う。もう帰ってこないのだろう。アルフレッドはきっと、ずっと動かない自分の傍にいる気で、この白い部屋にいて、あの部屋には帰ってこないのだ。
今日からまた一人か。なにを思う、元の状態に戻っただけだ。
菊とて、はじめは彼に煩わしい感情しか残っていなかったはずなのに、こんなにも物悲しくなるとは、なんとも滑稽な感情だ。
変な表情をしていたのだろう、横を歩くバッシュが奇妙そうに覗きこんでくる。
「本当にいいのか?」
「そのうち、帰ってきてほしいですね」
言ってから、しまったと気づく。菊はバッシュの言葉を、幽体の彼を置いてきていいのか?ととらえて答えてしまったが、彼としてはどういう意味だったのか。
「ならば意思表明をするのである。身内でなければ無駄かもしれんがな」
彼が幽体のほうのアルフレッドが見えるとするなら話は通るが、見えていた風ではない。
なら何の話だ、聞きなおすべきか悩んでいるうちに、バッシュは離れていってしまった。菊は一人アパートに戻った。
