Just Like Heaven 4-恋人はゴースト-.
「まずはアパートからですね」
菊はアルフレッドを連れて管理人のもとへ足を運んだ。
またかと言った雰囲気を作られる。菊は正直この人が苦手だった。常ににこにこしてはいるが、それに感情がこもっているようには思えないからだ。単純に彼がロシア人だと聞いたから一種の偏見かもしれないが。
「あのねぇ、こっちにも守秘義務があるから何回来られても、家族関係ですとしか言えないんだよ本田くん」
こちらの年齢を知っていて、おそらくは年下のくせにくんづけで呼んでくるあたりも嫌だ。
「その節はどうも。いえ、今日は理由ではなく、前の住民のことが知りたくて」
「だーめ。守秘義務」
「彼と交流があった人とかでもいいんです。教えて下さい」
管理人はマフラーをいじりつつ答えた。
「んー、僕、彼のこと嫌いだったからなぁ。全然わかんないや」
「なんだこいつ!オレだって君なんて大嫌いだよ」
黙ってくださいアルフレッドさん、気が散る。
「じ、じゃあ名前だけでも」
苗字がわかれば少しは、そう思ったのだが、ブランギンスキ管理人はにこにこと笑った。
「守秘義務」
ちくしょう嫌いだ個人情報保護法!
「ケチだな君ー!本人がOKしてんだからいいだろ別に!」
だから本人が見えないんですってば。
「そうですか、時間をとらせてすみませんありがとうございました」
菊は、プリプリ怒るアルフレッドを置いて管理人室を出た。
自分がこのアパートにいるのは1ヶ月だけかもしれない、それにアメリカの都会じゃ地域関係は薄いと聞く、そう言い訳しつつ隣近所にあいさつにも行かなかったことに今更後悔する。
隣の部屋の前で勇気を充電していると、少しして追い掛けてきたアルフレッドが、じっとこちらを見てきた。
「・・・なんですか」
「君ってさ、部屋じゃ変な服しか着ないくせに、外行くときはオシャレだね。わざわざ着替えたし」
「こちらの人は常にラフですからねぇ・・・。日常に神様が入ってこないせいかもしれませんよ」
何かの論文にそんなのがあったなぁ。だから日本人は人目を気にするんだとか。
へー変なの、と納得するアルフレッドをよそに、深呼吸してノックする。
髪の黒い男性が出てきた。人懐こそうな笑みを浮かべる。
「ちわぁー、何々、何のよう?」
今この瞬間、隣人がいい人に格付けされた。
「隣の部屋に越してきたもので、本田と申します。挨拶が遅れてすみません」
「あぁー、隣のなー」
うんうんと頷く青年。いきなりビンゴか?
「人住んでたん?びっくりやわー」
「マジで!?」
人のことは言えないが、交流しろよ隣人と。目の前の男と、後ろの幽霊を少し恨む。
とりあえずつめ菓子を渡したらおおはしゃぎされてハグとキスを貰った。金欠やからほんま助かるわー!だそうだ。
反対側の隣人。
「はぁ?隣の部屋のやつ?見たことはないけどいたのは知ってるんだぜ!つーかその菓子よこすんだぜ!」
やべぇこの人うぜぇ。近寄らないでおこう。菊は菓子を渡すと逃げるようにそこを去った。
上の階の人。
「え?下の階の部屋ですか?空室だと思ってました。ところで同じアジアですよね、どこの方ですか?」
豊かな黒髪が可愛らしい女性だ。
「日本です。あなたは?」
「台湾です!って、え、ほんとうに日本人ですか?゛私日本大好きなのでス!゛」
彼女は笑顔で、片言の日本語を話してくれた。
「゛お上手ですね゛」
「゛嬉しいです!あ、そだお茶ご一緒にどおですか?緑茶あるですよ゛」
すごく・・・ご一緒したいです。でもごめんなさい、時間がないのでまた今度。
最後に下の階だ。この部屋駄目だったらどうしよう。思いつつ呼び鈴を押す。
中からはロン毛+髭のイケメンがでてきた。
アルフレッドとはまた違う毛色の、いや髪の色じゃなくて、ダンディーな雰囲気というのを作り出しているというか。オタクとしてはダンディーにはもう少し年齢が欲しいが、まあこんなもんだろう。
アルフレッドが笑顔でヒゲ男爵を指差す。
「あ、なんかこいつ友人かもしれない。・・・うん、きっとそうだぞ!見覚えある!」
明らかに顔で選びましたね今。恋人ならともかく、友人まで顔基準ですかあなた。
「上の階に越してきたものです。本田菊と申します、以後よろしくお願いします」
ぺこり、ダンディーに恥じぬようにと思って振る舞いに気をつけたものの、ヒゲ男爵はにへらぁと破顔した。
そのまま急接近してくる。ああ、ハグやキスですね、親しい仲ならまだしも初対面でするのはなかなか慣れそうにない、相手がキスしやすいように差し出した頬には唇でなく彼の手が振れる。え、と菊が聞き返すまえに、彼の唇がこちらの唇に落ちた。
ええええ、ちょ、マウストゥマウスって家族か凄く親しい友人同士でしかしないんじゃないですっけ私ら初対面なんですけどぉぉお!?
驚いて逃れようとするが、いつのまにかがっちり後頭部を押さえられている。体格差のせいか離れない、このヒゲ。
しかも長い!ちゅ、で終わりが基本では?
直後、顎をつかまれて口をあけさせられ、舌が侵入してきた。しかも上手い。日本男児本田菊、不覚にも相手の胸を押す力が揺るまった。ごめんなさい、快感に弱い自信はおおいにあります。
「コラ!なにやってんだよこのエロヒゲオヤジ!」
アルフレッドの叫び声で我に帰り、どうにかこうにかひっぺがした。口を塞がれていたせいで息が荒れるが、目の前の男は余裕そうな表情だ。
「っ、はぁ、な、なにすんですか!」
「ナイスキク!そうだぞ、このエロヒゲオヤジ!」
しかし、オヤジか。そのオヤジより年上であろうな私はおじいさんですかね。菊はちょっぴりアルフレッドの言葉に傷ついた。
ヒゲ男爵改めエロヒゲオヤジはというと、にやけ面。あれおかしいな今度はそんなにダンディーに見えない。
「こいつやっぱり友達じゃないや、よく見たら、知らないよこんな顔」
アルフレッドは態度を一変させた。都合いいな幽霊。
エロオヤジはペロリ、自分の唇を舐めてウィンクした。
「ごちそーサマ。あ、俺フランシスお兄さんね。ところで何の用かな?」
「・・・上の部屋の元住民、覚えてますか?」
「あー、上の・・・アルフレッドとかいう?」
ビンゴだ!菊は警戒しつつも身をのりだして続きを待った。
「うん、あのねぇ。端的に言うと・・・ひどい女好き、かな。いやあんま面識ないけどさ」
「女好き、とは」
「仕事何やってんだか知らないけど、家に寄りつかないのは女のとこにいるんだろうぜ。家に居たら振った女が来るから都合が悪いんだろ、よく部屋の前やアパートの前で喧嘩してたからなー」
いやー悪ガキ悪ガキ。菊はアルフレッドを見た。ひどく決まりが悪そうにしている。
「何がひどいかって、ま、毎回女が違うのは俺も人のこと言えないんだけど、振り方がひでぇーの。ありゃあわざとレディが傷つく言葉選んでやってんな」
軽蔑するといった感じでフランシスが手を振った。
「ま、一応義理で心配はしてるけど、無駄だね」
「う、うそだ・・・・・」
アルフレッドが困惑している。記憶喪失で不安なときに、以前の自分が堕落した人間だったとすれば誰だってそうなるだろう。
自分の言葉が幽霊を傷つけているなんて知るよしもないエロヒゲオヤジ、もといフランシスは再びにこーと笑った。実に女好きしそうな顔だ。
「キクちゃん、俺パティシエなんだけどさ、新作のケーキちょーど作ったとこなんだよね。一人だとつまんないし感想聞きたいからさ、少し食べてかない?」
パティシエ?予想外の単語に思わず聞き返すと、フランシスはとある有名菓子店の名前をあげた。菊が先ほど折り菓子として渡した菓子と同じ店だ、そこの専属シェフだという。リリースしてどうする自分。
その店は少々値は張るものの値段に恥じない、知名度と味の良さではむしろ値以上で三ツ星レベルだ。
菊の中でエロヒゲオヤジはヒゲ男爵を飛び越してダンディーヒゲにクラスチェンジした。
「キク!こいつ絶対君のケツ狙ってるよ!」
「へ?」
「ゲイかバイだよ絶対!部屋に入ったら君なんて掘られちゃうぞ!」
まさか、ダンディーヒゲがそんなことをするはずないじゃないですか。すでに菊の頭はパティシエという単語で支配されていた。が、このままお邪魔してもきっとこの幽霊が騒がしくて、最高のデザートに集中できず、失礼にあたるだろう。
空を見ている菊を不思議そうに見るフランシスの誘いを、丁寧に断った。
力強くぜひ今度!と言っておいたので、誘ってくれるだろう。くれると嬉しい。
部屋に戻るも、アルフレッドの不機嫌は続いていた。
「初対面に不意打ちでキスするなんてありえないよ!ゲイの上に手が早くって最低なやつだ!きっとパティシエとかも嘘だぞ!」
顔を赤くしながら、菊が自宅捜索する後ろでうろうろしている。
フランシスの話によると、手が早い、ってのはアルフレッドも一緒らしいが何分単純な性格だ、忘れ去っているのだろう。
「偏見で人を見ちゃいけませんよ。あれだって・・・単なるスキンシップでしょうし、まぁ過剰ではありましたが」
「あんなの、引っぱたかれても文句は言えないんだぞ。君も君でなぁ、拒否れよ!」
NOと言えない日本人がああいう輩を調子に乗らせるんだぞ!アルフレッドに少々痛いところを突かれた。
妻が死んでから、彼女に操を立てているというわけではないのだが、気乗りがしなく相手もいなかった。だが枯れきるほど年老いたつもりもない。そんな微妙な年代なんですよほっといてください。
菊のことを依然として年下に見ているアルフレッドにそれを一から説明するのは面倒だ。菊は適当に笑って誤魔化した。
「快感には弱くてですね」
言えばアルフレッドはすごい勢いであとずさった。
「君!まさかゲイかい?いいよ、オレ差別しないし!ただオレを襲っちゃ駄目なんだぞ!」
その態度がすでに差別だと思うのですが。
「・・・心配なさらずとも、こちらにも選ぶ権利があります」
そう言うと、アルフレッドはあからさまに息をつき、今度は頬をふくらませた。
「ちょっと失礼なんだぞ」
「おや、襲ってほしいんですか?」
ノーセンキュー!アルフレッドは身を守るように両手を前に突き出した。少しだけ、冷や汗であろう汗がたれる。
反応が実に素直な人だ。菊はくすくすと笑ってネタばらしした。
「冗談ですよ、私には妻がいたではないですか。普通に女性が好きです」
菊に騙されていたと気づいて、アルフレッドは少し不機嫌そうな顔をした。
「・・・それならなおさら拒否るべきだよ」
「・・・嫉妬ですか?」
ふふ、と笑ってそう聞き直せば、なんでオレが!と全力で拒否された。
「はいはい」
適当に納めることばを言って、菊は探す手を動かした。
結局のところわかったのは、この部屋の元住人が、アルフレッドという名の女性関係にだらしなく近所付き合いを知らない男だったというだけだ。
目の前の幽霊が本当にアルフレッドなのかも確認できなかった。
部屋にあった名前入りのマグカップを見て、菊が彼をアルフレッドと呼び、彼もそれを自分の名前だと思っただけであるし、ダンディーヒゲに聞いても、好みじゃない奴は覚えてないなーという返事だったし、管理人は守秘義務だよとうすら寒い笑みを浮かべてくれたから。
他の誰かに繋がる何かがひとつでも見つかればどうにかなるが、当然部屋が貸し出されたからには中は一掃してある上に、菊自身も一度片っ端からきれいにした記憶がある。個人情報に関わることなんて一切残ってなかった。何か、ないか。ふと目を閉じると、菊の頭にあるものが浮かんだ。
確か――。
それを求めて家中を探せば、アルフレッドが興味を示して覗き込んでくる。
「何かあったのかい?」
「もしかしたらと思いまして。電化製品って、保証期間付きのものが多いでしょう?それには名前が書いてありますが、勝手に処分するのは損を招きますからね、処分はされないかと思いまして・・・ありました」
テレビの裏に折りたたんであった小さな紙を取り出す。
「そういえば壊れて買いに行ったっけ」
紙には、Alfread・Kirklandの署名があった。見れば4ヶ月前の文字。
「大型店だったら望みは薄いですが・・・行く価値はありますね。アルフレッドさん」
見たこともない場所に、菊は言葉を失っていた。
なんというか、完璧な頭のイメージでいくと真っピンクなネオン街というか、実際はそこまで下品なデザインではないけれど、かけ離れたものでもなかった。まだ夕方なのに派手な色のネオン、無意味に明るい高いビル、歩く人々もだが、街頭には必要以上に肌を露出させた女性らが多く立っている。女性も男性も、町にあった妙に派手派手しい格好だ。
そんな中、アースカラーを愛してやまない菊は少々浮いていた。
「こんなところに、電化製品店系ってあるんですかね」
「オレが知るわけないじゃないか!」
そう言うアルフレッドだが、菊とは違って彼にこの町はぴったりマッチしていた。だが少々季節外れな感がある。
「あなたが寒くないのはわかるんですけど、見てるこっちまで寒くなるんですよね・・・何か着るもの、出せないんですか?」
「出せって君・・・オレの部屋にオレの服なんて残っちゃいなかっただろ」
「いえ。幽体になったんですから、特殊能力的ななにかがついてたりして」
まさかそんな漫画みたいなねぇ、と思いつつ口にすると、心なしかアルフレッドの目が輝いた気がする。
こちらに来てその多さに驚いたんですけど、もしかして、日本のアニメとか特撮とか見るクチですか?
「頑張ってくださいっ、私たちにはあなたしかいないんです!」
「オレに任せるんだぞ!出てこいオレの服!」
菊がとびっきりのアニメ声でお決まりのセリフを言い放つと、アルフレッドはすぐさま良好な反応を示した。日本のアニメ文化最強ですね!菊、ひそかにガッツポーズ。
アルフレッドが実に見覚えのあるポーズをとると、突如、彼の体に、というより彼は突然、半そでからジャケットを着た状態になっていた。
「ええええええええ!?」
「おおーー!オレってやっぱりすごいんだぞ!お気に入りのジャケットだ」
MAJIDE?
菊が半信半疑でその暖色系のジャケットに手を伸ばすと、彼の体と同様に触れることなくすりぬけた。
つまり、アルフレッドはお気に入りをえり分け、取りよせ、霊物質化という過程を瞬時に行ったということか。物質にも幽体があるとするなら、無機物から幽体のみを離脱させたという可能性もあるが、どちらにしても高度なものだ。と、思う。何分、しょせん娯楽用に読んできたものか、先日例の本屋で買ったばかりの本らから得た付け焼刃的な知識にすぎないから、上っ面だけのものだ。
ますますまわりに違和感なく溶けこむアルフレッドは、新たに帽子!やら金!やら車!やら叫んでいる。が、そう都合もよくないらしい。結局彼が手に入れたものは、はじめに出せたジャケット一つだけだった。
一人騒ぐアルフレッドに、他人のふりをしたい衝動にかられるも、彼の大声も滑稽な姿も自分にしか見えないと思い出す。
それほどアルフレッドは幽霊らしくなかった。まあ、西洋の幽霊といえば足も姿もくっきりで自己主張が激しいので、妥当な存在なのかもしれないが。
菊は観光マップ片手に、電気店らしき店をようやく見つけて入った。ネオン街にあることを考えればわりかしまともだが、妙にこぢんまりとしている。繁盛している風ではない。
これなら、アルフレッドのことを覚えているかもしれないと期待したが、店員はモーロク爺さんで、覚えている以前に多大な問題があった。アルフレッドはよくこんな店で高級品を買う気になったものだ。
「またふりだしですか・・・あなた、本当になにか覚えてないんですか?」
「そんなこと言われても、こんなのどの町でも同じようなもんだしなぁ」
そう言った直後、アルフレッドは間の抜けた声を出した。
なにか思い出したんですか?聞くと、なんか入ってた、とジャケットの内ポケットからなにかを取り出す彼。
アルフレッドがつかんでいるそれを見ると、小さなカードだった。
「何のカードですか?」
「なんかのメンバーズカードみたいだぞ。余計な装飾が多くて見づらいな・・・フレイヤの涙・・・これ、ゲイバーだ・・・」
絶望的な声調でアルフレッドが読みあげた。
ゲイ。あれ、隣人のお話では、あなた部屋に帰ってこないほどの女好きじゃないんですっけ。え、両刀使いさんとかそういう奴ですか。
このとき菊がアルフレッドを見た目に、哀れみが入っていたとしても別に差別じゃないと思う。うん。
