ランナー 2
バッシュはそれ以来、本格的に本田菊を探した。
それ以前からも、本田と出会ってからは、学園にいるときはちらちらと他の運動部のほうを見たりしてはいた。
だが、それらしき女生徒はいない。
数少ない友人やら知人を集って、運動部を聞いてまわった。
日に焼けてないから、室内のスポーツから順に、バスケット、バドミントン、バレー、フェンシング、卓球、中国拳法、剣道、柔道、ムエタイや少林寺など、さまざまを考えてはみた。
強力な日焼け止めでも塗っているのかと、他の運動部もすべてあたった。
練習を覗いてみたし、それぞれ部員にそれとなく、本田らしい女生徒のことを聞いてみたりもした。
アジアンの女生徒なんて数少ない。
偽名でも使っているのかと、練習をのぞいて確認してみたが、どれも違った。
「バッシュ、その女子はこの学園じゃないんじゃないのか……?」
「なにもなく嘘をつくようなやつではない」
「だが、運動部はすべてあたったじゃないか。わざわざ俺を付きあわせて」
ルートヴィッヒが悪態をつくが、こいつの肩書きは役に立ったのだからしょうがない。
バスケ部のスパルタ部長。
バッシュも陸上部の部長としてひとまず名と体は知られているが、室内の部にまでは顔は効かない。
ルートヴィッヒも居たおかげで、ずいぶんスムーズに調査は行ったが、その努力は実らない。
本田が不意に倒れたあの日は、身の毛がよだつ感覚に襲われたものだが、アレ以来おかしいところはない。
週に何度かは走りにこないものの、それ以外は立派に走り徐々にペースを上げている。
「というか、本当にその子は運動部なのか」
「貴様、我輩がその走りを認めるやつが、軟弱な文化部にでもいると思うのか?」
「それは、思わないが……」
ルートヴィッヒには本田のことを、いい走りをするアジアンの女子、としか伝えていない。
あとは多少、その走りについて語ってしまった感がいなめない。
「お前が女子に固執するなんてな」
「女子に固執しているのではない、走りに惹かれているのだ」
「わかったわかった」
春休みとはいえ、いくらなんでも新入生ではないだろうとは思う。
本田は高等部の話についてきていた。まだ学校にすらあがっていない新入生では土台無理な話だ。
あの童顔では信じがたい話だが、バッシュと同学年か、ひとつ上の三年生だろう。
そのままずるずると時が立ち、始業式の前日となった。
バッシュは、学園内で本田を見つけられないままでいた。
相も変わらず、時間通りに公園にいき走れば、いずれ菊の背中を追うことになる。
そうして追い越し、彼女が到着するのを筋トレしながら待って、ともにまた走る。
「本田、貴様の学年とクラスを教えろ」
「……っは、……はい?」
走り終えたばかりでハァハァと息を荒くして、整理運動中の本田に尋ねた。
小柄なのも童顔なのも、人種のせいかもしれない、と自分に言い聞かせた上での行動だ。どうがんばっても小柄な彼女は同年代にすら見えないからだ。
「新入生ではあるまい?ルートヴィッヒや王を知っているようだしな」
「あ、……はい。ですが、中等部での先輩後輩、という可能性もありますよ?」
そう言われて、その可能性を失念していたことに、自分を叱責する。
それを見抜かれたのか、くすくすと本田が笑った。
本田に通じた名は2年、バスケ部主将のルートヴィッヒ。同じく2年、フェンシング部のボヌフォワ。そして3年の中国拳法部部長かつ少林寺指南役のワン。
その他は特に名前を出していないので、わからない。
「……ジョーンズは知っているか?」
「はい、存じています」
本田は柔らかく微笑んだ。
一年、たしかアメフト部で、中等部では生徒会長をやったとかいうジョーンズ。
どうも関係性がつかめない。学年はおろか、室内なのか屋外なのかも判別できない。
生徒会といえば、たしかボヌフォワや王も生徒会役員だったはずだ。
「……本田は生徒会の人間か?」
「私など、生徒会には入れませんよ」
「どうして貴様はそう、すぐに謙遜する」
責めたつもりではなかったが、本田は心底悲しそうな笑みを浮かべた。
この女はなにかというと、自己を責める傾向にある。自身を否定し、卑屈になって、自分の価値を低く見積もる。
それはバッシュをイラつかせた。
バッシュを認めさせたほどの走りを持ち、その走りを作りだすほどの精神力を持っていながら、なにひとつ誇っていない。
それがバッシュには理解できない。
「まあいい、学年とクラスを言うのだ」
「どうして、知りたいのですか?」
首をかしげて本田が聞く。
「貴様は……っ!我輩が言ったことを忘れたのか?貴様を陸上部にひきいれると言っただろうが」
「あっ、……それでです、か」
本田はなぜか顔を赤くして顔をそらした。
なにか自分が都合の悪いことでも言っただろうか、と考え直すがそんな失態はしていない。
落ち着いたらしい本田が迷ったように視線を揺らす。
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「……それも内緒、じゃあ駄目ですか?」
しーっ、と口に人差し指をあてる本田は、あいもかわらず表情は薄く、その内情は読みとれない。
「すみません」
「ふん、見つけたときは逃がさんからな」
「あはは、そのときはそうですね。観念します」
整理運動がすんだらしい本田は、汗を拭き水分を吸収し終えたようだ。
「ダッシュやるぞ、今日から貴様も10本である」
「ほんとですか」
緩やかにだが、本田は嬉しそうな顔をした。走ることが好きなんだろうと、良くわかる。
ともに走る人間が、バッシュと同じように、またはそれ以上に陸上が好き。
わかっていることは、それだけでいいのではないか。
それ以外のことに、何の意味もない。
「……学校が始まってからも、鍛錬を怠るでないぞ」
「はい」
だがバッシュは、この小柄な女とトラックで走ってみたい、とも思う。
そのためには、どうしても、本田をW学園で見つける必要があった。
始業式はとうに過ぎた。
バッシュは無事二年生になり、学校もはじまり、陸上部の本格的な練習もはじまった。
探さないで、と言外に本人から言われたものの、バッシュはあきらめる気は毛頭なかった。
春休みは部活に出ていないのかもしれない。能力が高いわけでもないので影が薄いのかもしれない。幽霊部員というやつでほとんど部活には顔を出さない人間なのかもしれない。
なんて前向きに考えてはいたのだが、幽霊部員への対処を考えて、室内外全運動部の部員名簿をもらって調べた。
本田菊、どころか本田という女生徒すらいなかった。
「なぜだ!なぜおらんのだ!」
「……いい加減あきらめろ」
「うるさいのである黙れ」
お前は人に手伝わせといて、と憤るルートヴィッヒはこの際無視する。
本田を学校で見ることはない。
部活動を調べたかぎりでは、信じようもないことだが本田は運動部には所属していないようである。
「我輩はあの女を、陸上部にいれたいのだ」
土日にバッシュが毎年の習慣に基づいて公園に顔を出せば、彼女は走っている。
その走りにはもちろん、一週間分の伸びがある。つまり、運動部のたぐいには所属していないものの、鍛錬は怠っていないということだ。
学校を休んでさえいるのか?それとも学校が終わってから走っているのだろうか。
「それよりバッシュ、新入部員の統括とか上手くやっているのか?」
ルートヴィッヒが話を変えてきた。
「我輩がおろそかにすると思うか?」
「逆だ。メニューや叱責が厳しすぎると苦情が出てるらしいぞ」
「それは……今年の新入生が軟弱なのだ」
この男には、自分が言葉に詰まったのがバレているだろう。
走っている最中には、他の感情が入りこむことはない。前の公園でやってしまったあの一件以前も以降もない、バッシュは自信を持ってそう言える。
しかし、それ以外は自信を持てない。
部員の状況と能力をじっくり見つつ、最適な練習メニューを選んでいる気ではある。
そこにあの一心不乱に練習にとりくむ、ひたすらに努力家な本田のイメージが大いに入り込んでいないとはいえない。
完璧な本田のフォームを、常人には真似できまいそのカタチを、部員に求めようとはしているのかもしれない。
バッシュがもんもんと自答していると、ルートヴィッヒが軽く肩をたたく。
「ともかく、新入部員を減らしてあとあと困るのは俺たちだぞ」
「それくらいわかっておる」
腹立たしい。
ルートヴィッヒの言い分がすべて正しいことは、今のバッシュでも容易にわかる。
かつて自分がこれほどまでに精神を乱されたことがあっただろうか。
これを収めるためにはどうすればいい。
本田を見つければいい。そう、それが必要なのだが、いかんせんそれが難しい。
運動部はすべて探した。残るはバッシュの卑下している文化部に所属の生徒か、帰宅部の生徒のみだ。
だがW学園は原則的にいずれかの部活動に所属しなければならない。
現在帰宅部にいるのは、家庭の事情、病気、外部学校受験など、特殊な事情をもつ、限られた数人だ。除外していい。
のこるは、文化部だけだ。
調べようと思っても、もともと少ないバッシュの知り合いのなかで文化部など、吹奏楽部のエーデルシュタインくらいだ。
つながりが薄い上、存在も知らない部ばかりで、難航しそうなそれにやる気は出ない。
部員と走りながら、そんなことをつらつらと考える。
体を温めるのが目的のアップでは、ふだんなら練習内容などを考えるのだが、最近考えてしまうのは本田のことが多い。
「……これも、あやつが頑なに話そうとしないからである」
なぜ話さないのか。その理由はわからないし、知らなくてもいいとは思う。
ただ、頑固に沈黙しつづける本田に腹は立つ。
「ブチョー、それ誰のことですか?部員ー?」
部員の一人が目ざとくバッシュの独り言を聞いたらしく、首をかしげる。
男は陸上部唯一のラテン系で、本田に関わってからはやたらとその黒頭に目が留まり、いまでは他の部員よりは近しい関係にある。
「……いい走りをするやつがいたのでな」
「ブチョーが人の走りを褒めてる!?はじめてじゃないですか」
男は矢継ぎ早に聞いてきた。
思わず呟いてしまったそれを、すぐにバッシュは後悔する。
「どんな走りなんですか?うちの部ですよね?やっぱり速いですか?」
本田の美しく癖のないフォームは、教えられてから、教えられたとおりにはじめて走ったという印象を受ける。
しかしそれはありえない、皆自身の癖を徹底的に排除することからはじめる。
だからこそ、癖を強制的に直した後がすくなからず見えるはずなのだ、もちろんバッシュも含めて。
だが本田には、それがない。
高等部もしくは中等部の途中から、運動部で突然鍛えた。そう考えたのだが、あいにく彼女は運動部ではなかった。
「……運動部ではない。それ以外は知らん」
「なんですかそれー。あっ、じゃあそいつの名前は?」
男は部の中でも、特に走ることが好きな男だ。
だから本田の名前を聞いてくるのも、単に陸上に対する興味から来るものだろう。
「本田、というのである」
「本田?本田って……本田菊ですか!?」
男は素っ頓狂な声をあげた。
「知っているのか!?」
「知ってるもなにも、有名じゃないですか」
「どこだ、どこのどいつだ!」
「そんなのは知りませんよ……あ、いた」
男の指差したほうを見る。
男と同様にバッシュの目はいい。2.0の視力が、校舎の2階のとある窓に映る女生徒を見つけた。
落ち着いた黒い短髪、完璧な無表情はまさしく本田のものであった。
「……っあそこはどこだ」
「え?えー……図書室、かな。ってあれ、ブチョーさん?」
バッシュは記憶に薄い図書室へと、全力で走り出していた。
