Get my reason -前編-
「恐らく、この中にあの犯人がいる」
フランシスが10名ほど名前ののった紙をみせてくる。
公立図書館のとある書物の組み合わせ貸し出しデータ記録らしい。それらの書物がなければこの事件は実行不可能だとフランシスは言う。
一般人どころか警察にも礼状がなければめったなことでは情報を開示しない現代、彼がそれを手にしているのは信じられないことだ。
「すごいな、そういうところにツテがあるんだ?」
ちらり目を通してみるも、アルフレッドには特に特徴のあるものなどわからない。
住所も乗っているから地道にいく以外ないのかなと思っていると、フランシスが苦い顔をしている。
「フランシス?知り合いの名前でもあるのかい?」
知り合いでも容疑者には変わりないけどね!一応聞くと、呆れたように紙面を指した。
「よく見ろよ、……ホンダ、キクがいるだろ」
「ん?……キクホンダ、これかあ。あっ、日本車だね。君に日本人の知り合いなんているんだな、初耳だよ」
「おまっ、ホンダだよ!知らねーのか?この事件、ホシはこいつで間違いない!だからやっかいなんだ」
フランシスの話によると、本田菊。日系三世。
典型的な知能犯で、殺してきた数は警察が把握しているだけでも両手両足の指でも足りない。
逮捕数も発覚している数も大いが、それは本人の自首によるものが圧倒的に多い。
「あなた方をからかうのは楽しい。
私にとってはあなた方の刑務所はただの家畜小屋で、抜け出すことは造作もありません。
私の殺人以外のもっぱらの楽しみは、家畜小屋に入る前や中であなた方と交わす会話です。そのために私は再三捕まり、逃走するのかもしれません。
自分たちの思い通りにならない私を見る、あなた方の表情。死の恐怖に揺れる瞳、途方もない痛みに耐える唇。
それらは私に途方もない興奮と喜びを与えてくださる。
今日からよろしく、どうぞこれからも楽しませてください」
そう、うすら笑いで宣ったホンダ(プライバシーの保護で口下以外は隠れているが)の映像は、警察の地位を落とす格好の道具として、警察署内だけでなくマスメディアにも保存されている。
それでも、威厳のない警察に対して暴動なんかが起きないのは、同じ映像内でホンダが、
「私は社会に故意に害をなす人物しか手をかけません。
害を一掃するなんて大それたことを考えているのではなく、私が理性で押さえきれない殺人欲にかられたときは、悲しむ人が少ないように害人を選んでいるだけです。
良いお方、可もなく不可もなく生きている方はご安心ください。世の中に悪人がいる以上、私は興味ありません」
そう宣言したからだという。
思いだしてみればそんな内容を聞いたことはあるが、何分アルフレッドはよその州から越してきたばかりなのだ、名前を覚えていろというほうが無茶だと思う。その映像を見せられて、ホンダのする笑みの気味の悪さに身震いした。
それより、犯人がわかったのならすぐに捕まえることが先決だろう。
フランシスの奴は、証拠づけがどうだの、まずは自分たちの安全を確保してからだの、とにかくまだ機会じゃない、と言ってばかりでホンダの住所に目もくれない。
アルフレッドはとてもいいことを思いついて、フランシスのいう待機に従った。
もちろんフリだけだ、ヒーローはどんな条件があろうと悪に屈してはいけないのだから。
言うことを聞くフリして、悪人宅へ飛びこんで逮捕してやる、そういう気だった。
実際にのりこむと、ホンダの住居は至極平凡なボロアパートだった。
悪人が隠れるっていったらでっかいアジトがいいんだけどな、でもカモフラージュと思えばこんなもんか。
静かに息を整えて、アルフレッドは短銃の安全装置を外す。
相手はすでに二人も殺した極悪犯だ。
面倒で過去の新聞に目を通してないが、フランシスによると他にもたくさんの人を殺害しているという。
本庁の射撃許可なんて取ってる場合じゃないが、偽住所の可能性もあるので、一応銃はしまったままいくけれど。
204号室、ドア横についているチャイムを押しつづけると、しばらくしてドアがあけられた。
「はいはい」
「ハロー!」
中から出てきたのは確かにアジアンだったが、予想外に小柄で幼かった。成人ではあるかもしれないが、人を殺すどころか小学生にすら力負けしそうである。これは間違ったかな、とも思った。
挨拶を交わしたまま、アルフレッドがどうしようかと立ちすくんでいると、その小さな男は首をかしげた。
「ハロー。ええと……忘れているだけでしたらすみません、どちら様でしょうか?」
「あ、ああ、オレはアルフレッド・F・ジョーンズだぞ」
「ジョーンズさん?……かさねがさねすみません、どちらでお会いしましたか」
思い出そうとしているようで、男はいささか太めの眉にシワを寄せた。
会ったことなどなかったが、これはこれでアルフレッド的には都合が良く、男にあわせて返事をする。
「ひどいなぁ、忘れちゃったのかい?まあずいぶん前のことだからね!しょうがないかな」
「すみません」
「いいや!じゃあオレと君がどこで会ったのか、あててみてよ」
笑ってそう言えば、男は顎に手をおき、考えはじめた。
恐らくアルフレッドと出会いそうな馴染みの場所をリストアップしているのだろう、しばらくしてからぽつりと呟く。
「……ゲーセンですか?」
「いいや違うぞ」
「丘の上のケーキ屋さん?」
「違うね」
「お向かいのおばあさんのお孫さん?」
「いーや」
「じゃあ、そこの大学生で、そこで出会ったとか?」
「違うぞ、オレも君も社会人だろ?」
なんでも、彼は大学の図書館を利用するためにしばしば勝手に出入りしているらしかった。だから何名かキャンパス内に知り合いがいるのだという。
「でもニアピンだよ」
他になにがありましたっけ、うなる彼に救世の言葉をさずけるも、彼は逆に驚いたような顔をした。
「え、まさかイトヨーキャンパスですか?でもあそこ、ほとんどアジア向けで・・・」
「そっちじゃなくてさぁ、図書館のほうなんだけどな。四階に位置する公立図書館。覚えがあるだろ?」
三人が不可解な、だが確実に他から生を搾取された今回の事件。その事件に関係すると思われる書物の類を借りたはずの場所。
フランシスの言葉を信じるならこの事件の犯人は確実に本田菊。
アルフレッドの今の仕事は、目の前のアジアンが本当に”犯人の本田菊”なのかを確認することだ。
「本当に覚えてないかな?ホンダ」
「覚えてませんねぇ」
ホンダという名を出しても否定しない。未だにとぼけた顔をしている。
「そんなはずはないんだよ。オレは君のことならなんでも知っているんだからね。本田菊28歳、日本人で、両親は幼いころ離婚して、8歳から施設育ち、親とは絶縁状態。14の頃に渡米してきた」
調査資料にあった彼のデータを漏らしても、ホンダに変化はない。
「飛び級制度を利用し、半年で英語をマスターしてMTB国立大学に入学……天才って奴かな、博士号を三つ取得した後、教授となり、20で無職になった。IT企業を立ちあげ大当たりして多くの資産を持ったが、その後会社ごと売却して若くして隠居生活。所帯は持とうとせず、現在に至っても友好な交際関係をもつ者はいない」
そのかわりに、アルフレッドの中の危険信号が稼働しはじめた。
幼いころから、アルフレッドが急に自身の鼓動を感じるようになると、それはおおかた危険が迫っている時だった。
結構な数の人が、緊張のさなか自身の鼓動を強く感じることがあるが、アルフレッドのそれが特徴的なのは、本人の知らぬ危機にもそれが敏感に察知してくれることだった。
ホンダとおぼしき目の前の男にあってもなんともなかったため、少しあきらめかけていたのだが、警察に入ってから作動したことのないそれがいま猛烈にアルフレッドの胸を打っていた。危険だと。
「よくご存知ですね。……他にも知っているのですか?」
ホンダの表情も雰囲気も声調もなに一つ変わってないように思えるのに、生々しい警告音が彼が殺人を犯した本田菊だと、しっかりとアルフレッドに伝えていた。
「キク・ホンダ、君を殺人容疑で逮捕するんだぞ」
彼の顔から一瞬表情が消え、次の瞬間薄気味悪く笑っていた。
それを見て、どくんどくん。また一際音が大きくなる。
危険だ、ここに居ちゃいけない。ホンダはまだ家の中の領域にいて、オレは外だ。ドアを閉めて逃げろ。
そう感じた瞬間、もうホンダは動きだしていた。
左手はドアを閉めようと動き、拳銃をとりだしかけていた右手はホンダに蹴りあげられて、銃がふっとぶ。
低い位置からけりを繰りだしたホンダは、そのまま回転して、アルフレッドの足をもすくう。
刑事になるまえにあるていど護身術や格闘術は習っていたが、どれも実践的なものじゃなかったらしい、どくんどくんどくん、木造の廊下にしりもちをつく。
間をあけず、どこに隠し持っていたのか菊は小型のスローイングナイフをとりだしし、勢いよく腹に突き刺してきた。
「ーーーーっ!!」
知らない痛みに息を呑むと、ナイフから手を離したホンダが、アルフレッドの上にのしかかったままこちらを見てくる。
「あれぇ、痛くないですか?声、出ませんでしたね」
幼ささえ垣間見えるその顔で、ホンダはもう一本ナイフを取りだして、アルフレッドの顔にひたひたと触れさせる。
かと思えば、ホンダは痛みに耐えるアルフレッドの腕をつかんで、ナイフを押しつけてきた。
金属の冷たさに、めまいがしそうになる。
「ふふ、いい顔ですねぇ」
力でなら勝てる自信はあったが、腹を刺されて力は出ず、そもそも技術でアルフレッドは完全に劣っていた。
「あなた新人でしょう?……大丈夫ですよ、間違わなきゃ人間って二・三本ナイフ突き刺しても死にませんから」
ね、と子に諭す親のように優しげな表情で、ホンダはのたまう。
その手には鈍く光るナイフとともに、アルフレッドの命が握られていた。
「じ、冗談じゃないよ!ヒーローは…死ぬわけには、いかないんだぞ!」
怒鳴りつけたつもりだが、刺された腹の痛みもあり少々声に怯えが入ってしまったことは否めない。
『わかるな?やつは尋常じゃない、こっちの身の確保が最優先なの。いまお前を行かせるわけにはいかない』
昨日のフランシスの言葉がよみがえり、それにくそくらえと毒づいた自分も思い出す。
年の功というやつか、おとなしく聞いとけばよかったと後悔するも、後の祭りだ。
彼の言うとおり、ホンダは正常じゃない。
アルフレッドに残るわずかな希望は、彼が自分を殺すためにナイフを構えているわけじゃないことくらいだ。
殺さないためでもないが、時間に少しの余裕ができるのもたしか。
どうにか時間を稼いで、どうにか応援を呼べればあるいは。
――でも、いったい、どうやって。
「ヒーロー、なんですか?」
「そうだ、ぞ!正義を貫いて、悪者から弱い人たちを守らなきゃいけないんだ!」
興味を覚えたらしいホンダに、返事をする。
いくら年をかさね世の汚さを知っても、まわりにアホかと貶されても、アルフレッドの信念はこれ以外に考えられなかった。
「ジョーンズさんがヒーローなら」
「アルフレッドでいいんだぞ」
「……この場合、私が悪者として、弱く守られるべきはあなたでは?」
「っ、だねぇ」
「あら、ではヒーローは?」
「それもオレ、かな」
「おやおや、面白いですね」
どくんどくん、鼓動がうるさい。無理があるのはわかる。
でもオレはヒーロー。それは譲れない。
ホンダは無言になり、てのひらでナイフを弄んでいると、突然カランと金属音がしてそれが跳ねた。
「あれれ」
「おい、お前そこからどけ!」
その声はフランシスだった。ホンダはおとなしくアルフレッドの上から退くと、颯爽と逃げだしていった。
徐々に鼓動が落ちついていく。ヒゲ面が、上から覗きこんでいた。
「あーあ、逃げられたか。……おい、アル。生きてるか?」
「そりゃーね……。でも、痛い……」
「ヒーロー語るやつは弱音はかないんだろー?救急車呼んでやるから、じっとしてろ、間違っても抜くなよ、腹に刺さってんの」
言ってフランシスは携帯を取りだした。
年上の言うこと聞かずにヘマやらかしたのは自分なのに、怪我したからか、怒られも貶されもしないのは結構こたえた。
