爺と孫 4
バスで乗りついで十数分、アントーニョの仕事場につく。
いまの時間帯にアントーニョがついている仕事は洗濯である。いまの季節だと、真冬に真水でひたすら服の汚れを落とさなくてはならず、人気はない仕事だ。
「トーニ!」
「お?おお、フィちゃんやないのー、ロヴィも!ルートヴィッヒまでおるやん。久しいなー!」
手を真っ赤にそめて、衣類を洗っていたアントーニョが顔をあげる。抱きついてきたフェリシアーノを泡をつけないように注意しながら抱きしめかえした。
アントーニョは笑顔のまま、本田をみて首をかしげる。
「っとー、こっちの兄さんは誰やの?友達にしてはおっきぃなぁ」
「アントーニョ・フェルナンデス・カリエドさん、ですね?」
だれもアントーニョのフルネームなんて口にしなかったはずだが、本田ははっきりと正確に言いのけた。
「……あんたは誰や?」
「私は本田菊と申します。本田がファミリーネームです」
そして、今までとはまとう雰囲気が違った。
緊張しているのか、本気なのか、ともかく本田の表情からは笑みが消えていた。
アントーニョもそれを読みとってか、抱きついていたフェリシアーノをはがすと立ちあがる。
「カエリドさん、単刀直入に言わせていただきます」
「なんや?」
「私は、ヴァルガスご兄弟を養子にしたい。許可していただけますか?」
何回聞いても、意味がわからない。
「…………へっ?」
「またソレー!?なんなのさヨーシって?おしえてよー」
フェリシアーノがさわいでいるが、気にしている暇はなかった。
「……養子ィ?」
「はい。日本で、私の元でお育てしたいのです」
本田の言っていることは、ロヴィーノには想像もつかない。
不運にも親を失ったスクォッターもどきに、いきなりシンデレラストーリーなんかが沸いてでるなんてありえない。
アントーニョはまだ状況を把握できていないようで、キョロキョロと自分たちを見てきた。
「え、え……なんで?てか自分ヴァルガスとどないな関係やの?」
アントーニョの言葉に、ロヴィーノの肩がおもわずうごく。
本田の能天気な雰囲気にのまれて忘れていたが、ロヴィーノが財布をスろうとした相手が本田なのだ。
ロヴィーノがスリやら置きびきをして生活を立てていることを、アントーニョには話していない。アントーニョは双子が二人とも案内業で生活していると思っている。
今はなくなった祖父もそうだったが、アントーニョもまたまっすぐな人なのだ。不正を嫌い、なんにいるのかは知らないが莫大な金を必要としているのに、地道にしか稼ごうとはしない。
このご時勢、この状況で、自分というガキがスリをすることをとくべつ悪いとは思ってはいない。
ギルベルトには言えたが、アントーニョには言うのがはばかられた、ただそれだけだ。
「ああ、それはですねぇ。ロヴィーノくんに……」
「……っ」
ロヴィーノは息を呑んだ。視線で必死にうったえる。
たのむから、いうな。このおひとよしには、イイふたごをしんじさせてやってくれ。
思いが通じたのかはわからないが、本田はちらりとロヴィーノに目を止めると、ゆるく微笑んだ。
「……私が道に迷いまして、そばにいたロヴィーノくんにお尋ねしたんですよ」
「へぇぇ、ロヴィーノにぃ?」
「ええ、のちほどフェリシアーノくんも合流して、そのまま町を案内していただきました」
本田はどうやらロヴィーノをかばってくれたらしかった。
お人好しはお人好しのままで、その出会いに疑いを持つなんてことはなかった。
ただ急に現れた不審人物――本田を威圧している。
「せやから養子に――ってか?えらい勝手でえらい急やんなぁ」
「短時間であろうとも、人となりを知ることはできます。フィオレンティーノ・ヴァルガスさんのお孫さんがとても心優しい子どもたちだと、よくわかりました」
その瞬間、不審人物からかなりの不審人物、くらいには本田の位はレベルアップしたと思う。
ロヴィーノらが話した覚えのない、じいちゃんの名前を言ってのけたからだ。
「なんで、おじいちゃんのことしってるの?」
フェリシアーノの反応に、アントーニョがいぶかしげに本田を睨む。
「昨日今日の出会いにしては、あんさんちぃとモノを知りすぎやないか?」
「…………」
少しだけ二人の言葉が途切れ、その間にルートヴィッヒが口を挟んだ。
「アントーニョ。だれかわからんが、にらまれてるぞ」
「ん?げぇっ!ブチョーやん!」
「カリエド!サボってんじゃねぇクビにすんぞぉ!」
ルートヴィッヒが指差した方向には、少し頭のはげかけた男がいた。
アントーニョはそれに慌て、本田は「ルートヴィッヒくん、人を指差しちゃ駄目ですよ」とルートヴィッヒの指を隠すように包んだ。
アントーニョはロヴィーノらに手を合わせて頭を下げる。
「大事な話やしごめんやけど……っ、仕事終わってからでええ?」
仕事ならしょうがないだろう、と思っていると、本田は頭を下げたアントーニョをスルーして、その部長のところへ足を運ぶ。
部外者がいることにすらタンカを切ろうとした男に、本田は近づき、頭をさげる。
「申し訳ありません部長さん、私どうしてもカリエドさんにお話がありまして……」
「ああ?」
そんなことをしても言ってもムダだろう、だって金以外に大事なものなんてありはしない。
とばかり思っていたのだが。
「少しの間、彼をお借りできませんか?」
「……ああ、かまわんよ。ごゆっくりー」
本田はどんなマジックを使ったのか、部長は急ににこにこと愛想笑いを浮かべたかと思うと、許可して去っていった。
しかも高圧的な態度さえうちけして、だ。
「ホンダさんすごー!」
「……なにかしただろ」
「ふふ、誠意を持ってお願いしただけですよ」
ホンダの笑みは完璧だった。
目をキラキラさせていたフェリシアーノは、ますますをもって目を輝かせていた。
しかしアントーニョはそれをうたがわしい目で見てしまう。
人はそんなに簡単に考えを変えないし、お金を産みだす労働者を簡単に解放しないことを知っているからだ。
「皆さん、耀さんをご存知ですか?」
「ヤオぉ?」
「ヤオ!もちろんしってるよー!」
双子とアントーニョはすぐさまその名前に反応する。だがルートヴィッヒは少し考えていた。
ロヴィーノが知っているかぎりでは、ルートヴィッヒは耀とはほとんど面識がない。
「……ヤオってあれか、アジアンの……フィオレンティーノさんとどんなかんけいだ?」
「コレだよコレー!」
フェリシアーノがビッと小指をたててみせると、純情なルートヴィッヒはばつが悪そうにした。
それどころか、知ってるだろうと思われた本田さえ赤くなっていた。
双子とフィオレンティーノの住んでいた場所はイタリアにちがいないが、みなでよく世界中を旅していた。
その旅に、たびたびひっついてきたのが耀だ。
二人が親友なのか腐れ縁なのかはたまた同姓の恋人なのかは、幼いロヴィーノにはよくわからなかったが、二人の雰囲気が心地よいのは確かだ。
「ヤオはいまなにしてるの?ホンダさんはヤオしってるの?」
なつかしさにかられたフェリシアーノが、本田に無邪気にたずねる。
本田は困ったように眉をしかめると、その問いには答えず、アントーニョに一枚の紙を手わたした。
「なんやこれ?」
「私は耀さんの弟です。多忙な耀さんに代わって、ヴァルガスご兄弟を迎えにきました」
「おとうとぉ?まぁ似てなくもな……って、なんでヤオがひきとるんや?いまさらやんけ」
「その紙はフィオレンティーノさんの遺言状です。去年見つかりました」
「去年?で、一年たって行動かいな」
アントーニョが顔をしかめる。
「これはヴァルガス氏つきの弁護士が発見したのですが、彼が兄の身元をつきとめるまでに半年以上かかりました。そういった不具合が多数生じて、ヴァルガス兄弟の居場所をみつけたのが、一週間前でした。いいわけにはなりえません、遅くなって本当に申し訳ありません」
本田は民族衣装のせいでそう曲がらないみたいだが、それでも精一杯頭を下げていた。
ロヴィーノら子供たちは、びっくりすることがどんどん本田の口からでてきてついていけなかった。
ただ、本田の身元がはっきりしてきたのが、アントーニョの様子からもわかった。
本田は、耀の弟。
耀は、フィオレンティーノが死んだときまっさきに双子をひきとろうとした。双子にとっても、耀のことは好意的に見ていたし、お金持ちらしいのでそれを望んでいた。
法律がどうとかで、結局それはかなわぬ夢だったが。
「ヤオが……」
「どういうことー、トーニ。ヨーシって、オレたちヤオのとこにいくの?」
ロヴィーノのつぶやきにフェリシアーノが反応する。
フェリシアーノにはまだ、養子の話自体つたえてはいない。
どうやってごまかそうか考えていると、本田とアントーニョは話をすすめていた。
「ホンダさん、あんたが正式なもん持ってるいうのはわかった。でも、オレが二人を育てて幸せにしたんねん」
「……」
「養子にやるんは無理や。あきらめて帰ってくれ」
いつもへらへら笑っているアントーニョが、ひどく真剣にそう言った。
本田はちらりとロヴィーノとフェリシアーノを見て、言いかえす。
「失礼ですが……彼らの服装やたたずまいから、経済的にあなたがお二人を育てられているようには見受けられません」
「……っ!せやかて会ってばかりのやつに、この子ら簡単にまかせられるか!」
アントーニョが叫んだ。
「ふ、ふたりともけんかしちゃやだぁー……」
二人の剣幕と空気、そして珍しいアントーニョの怒鳴り声に、おびえをなしてフェリシアーノが泣きだした。
はっ、と二人が気づいてこちらを見る。
フェリシアーノはルートヴィッヒになだめられてはいたが、弟の目のまえでまた話をはじめるのは難しいだろう。
本田は近づいてくると、民族服の袖からなにかをとりだして、ロヴィーノにわたしてきた。
20ユーロだった。
「……私とカリエドさんで少しお話してきますので、三人で少しどこかでお待ちいただけますか?」
ロヴィーノらには大金であるこの金で、どこかでブラブラしておけ、ということだろうか。
子供は聞かなくていい、とでも言われているようで、ロヴィーノは思わず本田の袖をひっぱった。
「まてよ!じゃがいもはまだしも、オレらのことだろ。はなしをきくけんりは、あるんじゃ……」
「なら、フェリシアーノくんも養子の意味を教えてあげてください」
本田は、やはりこちらの目線に合わせるようにしゃがんでからそう言うと、また袖口からなにかをとりだしてロヴィーノにわたした。今度は三つのあめだまだった。
たしかに、当事者であるのはフェリシアーノもおなじだ。
ロヴィーノの判断で、勝手にフェリシアーノには伝えないようにはしているが、ロヴィーノが本田に文句をいうのなら、ロヴィーノもフェリシアーノに文句を言われる立場にいるということだ。
「……っ、ホンダ。あのでっかいみせの、なかにいるからな!」
「はい、ありがとうございます」
ホンダの顔は見らずに、フェリシアーノを見ると、泣いて赤くなった目元にまた涙をためはじめている。
「に、にーちゃんー?」
「いくぞフィ!じゃがいもさっさとつれてこい!」
「……オレはじゃがいもじゃない」
ロヴィーノは後ろについてくる二人を確認しながら、そのでっかい店のほうへ歩きだした。
とりあえずフェリシアーノの猛烈な要望により、ほどほどの値段で美味しいジェラートと噂の喫茶店に入る。アマチュアとはいえ観光業をやっているフェリシアーノだから、その辺の選択は任せて大丈夫だろう。
フェリシアーノにも、自分たち双子のまきこまれている状況を簡単に話した。
「ヴェ!?……トーニがオッケーしたら、オレたちどうなっちゃうの?」
「そりゃあ……ひきとられるんだろ。ジャッポーネに」
「かねもちみたいだから、もうカネでこまることはなくなるだろうな」
そう続けたルートヴィッヒの言葉に、フェリシアーノは無邪気に喜んだ。
「ホンダさんに?そうなのー?じゃあピッツァたべほうだい?」
「ジャッポーネにピッツァはあるのか?」
金持ちの国、安全な国、そういう日本しかしらなかったロヴィーノは、その疑問をルートヴィッヒに問う。
「オレがしるか!……ゆうふくだから、あるんじゃないか」
「よかったー!」
フェリシアーノは無邪気に喜んだ。
「……でも、トーニやじゃがいもやギルとは……」
「あえなくなるな」
ロヴィーノが言い淀んだ続きを、ルートヴィッヒが紡ぐ。
イタリアからどれだけジャッポーネが遠いのか、どの方向に位置しているのかはわからない。ロヴィーノらは祖父フィオレンティーノにつれられてかなりの国を旅した。ドイツスイスなどの近い国、寒いロシア、熱いインド、まぜこぜのアメリカ。それでもジャッポーネの近くに行ったことがないということは、そう簡単に行き来できる距離でないことは予想がつく。
「や、やだよぅー……」
感情表現が豊かなフェリシアーノが、ぽろぽろときれいな涙を流す。
見かねたルートヴィッヒがその震える背中をなでた。
「まだ、そうときまったわけじゃねーだろチクショー」
「ホンダにききにいくか?フェリシアーノ」
ひっく、ひっくとあえぐ声の隙間に、うん、とルートヴィッヒの問いに対する答えがあった。
それを聞くやいなや、ロヴィーノはルートヴィッヒと顔を見合わせ席を立つ。
だがいつまでたっても弟が後を追ってくる気配がなく、ロヴィーノはふりかえった。
フェリシアーノはまだ席にちょこんと座っていた。
涙はすっかり引いていて、跡だけが白い頬を走っている。フェリシアーノは注文していたジェラートをぺろりと口に含んで、満面の笑みを浮かべていた。
こちらに気づくと、あわてて言う。
「ヴェ……た、たべてからいこうよー」
さっきまで泣いていたくせに、とは思うもののジェラートにありつけそうな状況が数年ぶりのは二人も同じで、これからのことより目の前のジェラートが勝ってしまい、二人して黙って席に戻ってジェラートの冷たさと甘さを堪能したのはしょうがないことだ
。だってまだ俺たちガキだし。
