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きみはペット



先日、雨の夜に家のまえの段ボールに入っていた人間、もといペットのフェリを拾ってから数日たつ。
なぜか血だらけ傷だらけの男がダンボールに入っている事実に焦り、とりあえず連れ帰って風呂につっこんで食事を詰めこませた。
途中からは自力でものすごい勢いで食べ終わると、グラッツェ!とだけ叫んで彼は一瞬で眠りこんでしまった。
翌日になっても起きる気配はないので、起きたらカギは植木鉢の下に入れて出ていってくれ、という旨をひとまず英語でメモをした。眠りこける彼がイタリア人であろうと何人であろうと、ここはアメリカだ。
狂言なら狂言で、泥棒なら泥棒で、特に取られそうなものもないしいいかと放置して出社していたが、私の帰るころには彼はしっかり部屋に居るし、とくに無くなったものもなかった。



「おっかえりー!菊!」
うきうき気分で帰宅し、ああそういえば昨夜ひろってしまった傷だらけの男はちゃんと帰っただろうかと思いながらドアノブに手をかけ、鍵が開いていたことに、まずい人間を介抱してしまったのだろうか、と不安になるのもつかの間、中からはその男が満面の笑みで出迎えてくれた衝撃を皆さん想像してみてほしい。
がっくり項垂れて、菊は頭を抱えた。
「どーしたの?あ、もしかしてオレの英語通じてない?」
「いえ……」
男性にしてはどちらかというと可愛らしい風貌をした彼が、突きでたアホ毛を揺らしながら、きょとんと首をかしげてこちらを見てくる。しかもちゃっかりエプロンを装着しているではないか。
とりあえず菊は近所迷惑にならないようにと家に入り、ちょろちょろする男に座ってくださいと促す。
「オレ知ってるよ、これニホンのタタミって言うんだよねー。まだちっちゃいのに、こんなに大きな家、すごいねー菊!」
おとなしく座ってくれはしたものの、いまだにキョロキョロと落ち着きがない。
こちらの人の目から見れば小さく幼く見えるかもしれないが、そもそも菊はすでに30歳だ。一人身ということを考えるとこれほどの家をもつことなど造作もない。アメリカは日本と違って土地代も安いのだから。
「それにお庭もすっごいキレイだった!オレ、ああいうのすごく好きだなぁ」
「少し静まってください!」
「わ、はーい」
菊が叱るように声を上げると、小さく手をあげて正座をしなおす男。
だが反省した様子はなく、強いていうならば、尻尾フリ全開で主人の命令を待つ、犬のような印象を受ける。
ふと、昔飼っていた大型犬を思い出した。そういえば、この透きとおるような青色の目は似ていると思う。
馬鹿な、どうして犬と人間を比べるのだ。
菊は頭をふって、男が何故ここにいるのかという本題を考える。メモを読んでいないというわけではないだろう、なにせ彼はメモに書いた菊の名前を知っているのだから。
「……何故、あなたはここに居るのですか?」
「え?だって菊がオレを拾ってくれたんじゃん」
こちらの意図がまったく通じていない。菊はため息をついて、もう一度聞きなおす。
「どうして家に帰ってないんですか」
「家もってないもん」
「……どうして私の家にまだいらっしゃるんですか」
「あっ、そうそう、お礼にディナー作ったんだー!冷めないうちに食べようよ!」
「え、……ちょっ」
おとなしくしていたかと思えば急に立ちあがり、男は菊の手をとりリビングに引っぱる。止める間もなくふすまを通るとふんわりといい香りが漂ってきた。
見ればお膳には、似つかわしい西洋料理が並んでいた。
パスタにソテーに、どれもひどく美味しそうだ。偏見いっぱいだが、多分アメリカ出身の人ではないのだろう。
とすんと座布団に座らされ、彼も座り、仕事着のまま食事というのは割に合わないが、一度席についた手前もう立ちあがるのは無作法だ。
本来ならフォークやナイフで食べるそれらを、道具がないので箸で食し、ごちそうさまでしたと箸を置く。
「……ありがとうございます、とても美味しかったです」
「えへへ、良かったー。……っと、待ってまだオレ食べれてない」
男は箸と悪戦苦闘していた。ごゆっくりどうぞと言えば、またグラッツェーと花のように朗らかに笑う。
一セットくらいこちらの食器を買ったほうがいいだろうか、と菊は思う。
基本的に日本食以外は作れないので食器も調理器も一切手をつけていなかったが、アメリカにいる以上、お客がこちらの食べ物を持ってきたときはどうしようもなくなってしまう。
脳内で電卓を叩いていると、食べ終わったのか男が食器を炊事場へと運んでくれる。菊の分もだ。
そのままなし崩しに洗ってくれるらしかったので、菊はそのあいだに普段着である着物にきがえた。
終わったらしい男がくるりと振りむく。
「わ、キモノだっけー?すごいー!セクシーだね!」
いままで見ていた分では、この男に学はなさそうだ。英語はすらすらと話すが多少使い方がおかしかった。でなければ、男に向かってセクシーなどとは気が触れている。
しかし、困った。
いままでは明らかに菊のほうが優位だったため、多少の失礼に当たることも遠慮なく言っていたが、ご飯を作ってもらっては五分五分である。
なにせプロ並みの料理VSあまりもの料理+風呂+そまつな怪我の手当てである。五分五分だ。わずかに自分が勝っている可能性はあるが、菊はあの料理に満足してしまったため強くは出れない。
一応は客人に、帰れなどとは失礼千番。お客様はカミサマだ。どうする本田菊。
悩むあまり男を凝視してしまい、それを不思議に思った男が首をかしげる。
「ヴェー?どしたの?」
「……お風呂でも入っていきませんか、沸かしますので」
うっかり出たのはそんな言葉だった。
とりあえず二人とも風呂に入り、男がヒノキ製の湯船にはしゃぎ、また言葉に詰まって酒盛りをはじめてしまった。
日が変わろうとしたとき、菊は決心する。ここで押し返すことを。
幸いほんのり顔が赤いだけで、イタリア男は大して酔ってはいなさそうである。酒も切れてきたことだ。
「夜も更けましたね、そろそろ仕舞いとしましょうか」
「ん、そうだねー。じゃあ寝よっか!」
にぱっと屈託なく笑う男。
そういえば、アメリカ人以外にも欧州には空気を読まないタイプのほうが多いんでしたね。思い出しました。
しかしタクシーもなにも捕まらないだろうこの時刻、追い返してしまえば理不尽なのは向こうとはいえ菊が相当な悪人になってしまう。
客用の布団を今日もひっぱりだして、結局菊は男をもう一晩泊めた。
年々起きる時間が早くなることに年齢を感じつつある朝、横にすうすう眠るイタリア男を見て菊はため息をつく。
はたして、いつまで居つくつもりなのだろうか。
ひとまず朝の準備をして、スーツに着替えるとまだ熟睡中のイタリア男をゆすり起こした。
なかなか起きてくれず、ようやく起きても眠気眼すぎて、すぐにまた夢の世界へ旅立っていく。
「ヴェ、……うー、チャオー菊ー……」
「チャオ、起きてください。……あの、そろそろ帰っていただけませんかね……?」
寝ぼけてるときに言ってしまえという負け犬根性でそういうと、布団の中で渋っていた男はがばっと飛びおきた。その勢いに驚いて菊は体を少し引く。
会ったばかりではあるが、珍しい渋い顔をして男は言った。
「ヤダ!」
「はい!?」
「出てくのやだー!」
私より一回りも大きな男が私の布団でだだをこねている。なんだろうこの状況。菊は現実逃避をしたくなる。頭を抱えた。
「親族でも友人でもないのに、そんな頼みは聞けません」
「じゃあ友達にしてよ」
「友達とはなろうとしてなるものではありません」
「じゃあ恋人とかさー!だったらファミリーでしょ?」
「私の性癖はノーマルです!」
アメリカなんて嫌いだ!先週なんて上司のセクハラに耐えきれずに抵抗したら、左遷されかけたし。
セクハラが痴女によるものなら、ロリコン思考のある菊だが男として多少なりとも嬉々としただろう、だが上司とは肥満型剛毛タイプの、いわゆるくま男である。
セクハラするにしても、多少はこちらの性癖も尊重して欲しいものだ。
「えぇー。お願いっ!ここに置いてよ、オレ眠れる家ないんだ」
「無理です、犬や猫じゃあるまいし。お帰りください」
渋る男を一刀両断、パタンと玄関に続くふすまを開ける。こうして帰らなければぶぶ漬けを出して蛍の光でも歌ってやろうか、まあ多分日本人以外には通じないだろうが、なんて思っていると座っているイタリア男の尻にまた幻覚の尻尾が見えた。
猛烈に左右に揺れている。落ち着け。そこにいるのは正体不明のイタリア男だ。
「あっ!じゃあペットでいいから、オレを飼ってよ。えっと、ご主人サマ?」
いいコト思いついた、とでもいいたげな満面の笑み。尻尾の揺れは最高潮だ。ああ、可愛いな。あの太くて立派な尻尾はラブラドールだろうか。
待て、本田菊。それは疲れからくる幻覚だ。ふり払うように叫ぶ。
「う、うちには五郎さんというペットがすでに居ますから!」
「エッ、犬!オレまだ会ってないよ!?」
男が焦る。
「猫です!五郎さんは放浪癖がありまして……っていうか、犬と猫じゃ相性悪いからあなたは飼えません!」
「五郎さんと仲良くできたら、いいの?」
捨てないでCMのチワワのごときつぶらな瞳で、こちらを見てくる犬。いやいや大型犬だヤツは。ちょっとまて、それ以前に人間だ。
菊は混乱するあまり、こくりと肯定の意味でうなづいてしまった。



「ねぇ、菊が名前つけてよ!」
「参りましたね、日本名ならそれなりに考えつきますが、……一応聞きます、あなたどこの国の方ですか?」
「産まれも育ちもイタリアだよー」
「イタリア人ですか……イタリア、うーん念のためペットと誤魔化せる名前がいいですね。イタリアねえ……パスタ?食べ物だと混乱しそうですね、ピサ?コロンブス?ブーツ?ベンツはまんますぎるか、……フェラーリ、は長いから…………フェリ、でいかがでしょう」
フェラの選択肢を暗黙のうちに消去してそう言うと、フェリはとびきりの笑顔を見せて、わんっと鳴いた。
「それ、オレの本名とおんなじ!すっごーいぐうぜーん!」
これからよろしくね!言ってまた笑うフェリに、犬は喋りませんよと言うと、焦ってくぅんくぅん吠えだした。私よりひとまわり以上も大きいくせに、なんだかかわいいと思ってしまったことは内緒だ。







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はじめちゃいました。
これもまたエロスはありませんが。お付き合いいただけるとうれしいです
10.1.1