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シェアハウス  6



白く細い手をとって、美しく彩られた爪をなぞる。彼女の青い視線をすくいとって、手のなかに軽いキスを落とした。
「あら。フランシス、もうお別れ?」
「ああ、ごめんねマドモアゼル。もう少し君と過ごしていたいけど、1時までに帰らないと君の旦那にバレちゃうんだろ?」
それは困るわね、と彼女は優雅に笑った。
ホストバーという性質を理解したうえでの遊びをよく理解している。
いいねぇ、やっぱり女ってのはこうじゃなくちゃ。癒し癒される、天職だわ。
笑って人妻のお姫サマをお送りした。
ここはホストバーFOREIGNER。
俺ら欧米の外国人専用で、ここは日本だが日本人が来店するとマスターが丁重にお断りする。
来る客もホストもボーイもみんな日本人からすれば外国人。
それは、一種の日本のなかの飛び地のようなものを形成しており、異国の地ですごす皆が母国語を聞き母国語で会話しひととき日本にいることを忘れられる空間、マスターの願いのこもったホストバーだが、『外人』を意味するバーの名前は、現実に引き戻されるようだと客受けがすこぶる悪い。
そんな中、日本のなかじゃマイノリティなアメリカ、イギリスなどの英語圏の連中はFOREIGNERじゃあ立派なマジョリティである。当然ホスト側も英語圏の連中のほうが需要が高く、出身地でなくとも喋れる奴が必然的に仕事が多い。
俺?俺は美しきフランス語以外は、漫画やアニメ用に日本語を学んだ以外は覚える気はさらさらない。英語なんてわかりやすいってだけじゃねーか。やったらできるんだよ、やらないだけでな。
というわけで、フランス語圏の俺はマイノリティだ。個人として人気な自負はあるが、なにぶん客率が少ない。基本的にフランスは恋人はきっちりつくるので、こういう場に出てくるのが少ない点もそれを助長している。
予約客がやって来る時刻になるまでどうせ暇だろうから、奥に入って漫画でも読むかな、と思って熱気のこもったバー内部を歩いていると、黒服がちょいちょい肩を叩いてきた。
なんだよ?と聞けば、フランシスさん指名の方が、との返事。
指名ということは新規ではないということだが、誰だろう。今日来るっていう連絡は誰からも貰っていない。
営業スマイルを出しつつ指名されたテーブルに向かうと、確かに、とても見知った顔がいた。複数形で。
わぁ、三人いる。
先日どこぞから帰ってきて、あんまり接触していない軍人さんだかなんだかは抜きだ。良かった命拾いした。
「フランシス兄ちゃん!やっほー遊びに来たよ!」
「人気ないんじゃないの、ボヌフォワ?君を指名したらボーイが何度も聞きなおしてきたぞ」
「……ふむ、この酒はなかなかいけるな」
三人ともほんのり顔が赤い、入ってきたばかりだろうに酔っているようだ。さきにどこかで飲んできたんだろう。
ボーイが聞きなおすのはそりゃあ……君たちがフランス国籍には見えなかったからじゃないか。ていうかここお姫サマが来る場所で坊ちゃん方がくるとこじゃねーんだけど。
ルートヴィッヒは白のシャンパンを頼んで、ぐいぐい飲んでいる。実にいい飲みっぷりだが、ちょっと待て。
俺はルートヴィッヒののど元つかんで引きよせ、ささやく。
「おい、おまえ学生じゃなかったか」
「ああ、俺は18だ」
「むこうじゃあ18でも十分飲めるんだろうけどな、ここ日本だぜ……」
そう言っても、がぶがぶ飲むルートヴィッヒ。
いくら安物とはいえ、もうちょっと味わって飲んでくんないかな。そこいらよりはイイの選んでるつもりなんだが。
「兄ちゃんー、アルも未成年だよぉー!オレ、この三人のなかじゃあお兄さんだもん!」
フェリシアーノが元気よく手をあげる。声を抑えようともしていないので、彼の頭をつっついてシッ!と黙らせた。
どこのホストクラブやバーでも同じように、未成年は、原則、連れこみ禁止なのだ。周囲にバレたら減給は間違いなしである。
「ほら、アルフは一応自立しているからな、法的に。ルートヴィッヒはまだ学生だろうが、お兄さんはそういう子には飲ませない主義なの」
「細かいことはいいじゃないかボヌフォワ。普段からよく飲んでるだろ、部屋で」
そうアルフレッドに言われると、規律に厳しいルートヴィッヒがいとわないほどに酔っているんだから、まぁいいかという気になった。
今後の出入りは禁止する方向で。もちろん全員。
全員、その単語にもう一人の人物が俺の頭の中に浮かぶ。
「フェリシアーノ、菊ちゃんはどうしたんだ?」
部屋に一人とか、すげぇ可哀想なことになってない?いや、多分それはそれで彼はいそいそと例のオタク部屋に向かうんだろうけど。
いやちょっと待て俺。つい一週間前にバッシュの野郎が帰ってきたんじゃないか。あれ、菊とバッシュふたりきり?もっとやばくね?俺的に。
フェリシアーノははじめて気づいたかのように、あ。と間抜けた声を出した。
「菊ね、一緒に来たんだよー!なのに兄ちゃん、入り口でつかまっちゃってたんだ」
「え、それまじ?」
ていうかバッシュは?モシカシテいるの?
「ヒッドイよねー!ハイレマセーン!ばっかり連呼するのあいつ!」
そりゃあ、店の規則だしね!日本人は入れないよ!ていうかさっさと教えろよ酔っ払い、菊ちゃんが入り口で立ち往生しちゃうだろ。
俺は軍人野郎のことは意図的に忘れて、あわてて入り口に向かった。
行けば、見知った黒髪の彼が受付のボーイに淡々と説教をたれている。ボーイが先に俺に気づき、少し泣きそうなうんざりしたような表情で助けを求めてきた。
どうやらバッシュはいないらしくて心底ホッとする。
『悪いな、そいつ俺のツレだわ』
『ボヌフォワさん困りますよー、日本人じゃないですか』
『ああ、今日だけにしとくよ』
同じくフランスの黒服だったため、話が通じてよかった。ちなみに、ほかの国の黒服との意思疎通言語は日本語である。皮肉にも。
「ほら、菊ちゃーん、何やってんだお前は」
ボーイを下がらせ、菊をくるりこちらに振りむかせる。
なにやら、顔が赤い。一瞬ぎょっとした。
いつも以上に座った目、少し開いた口、目元というより頬がほんのりと朱に色づいていて、お色気はバツグンである。
それが想い人ならなおさらで、俺は沸きあがった欲情をどうにか抑える。ここは仕事場だ。
「……菊」
「あー、フランシスさんだぁー」
当の本人である菊はどこ吹く風、少々テンションがおかしい。今ようやく俺に気づいたらしく、ほわりと笑った。
いつもの落ち着いた穏やかな笑みではなく、どこか幼い、彼には珍しいものだ。そしてそのままこちら寄りかかってくる。ちょっと、菊ちゃん、誘ってると奪っちゃうぞ。
女の子たちのための店でそれはまずいかなァと思いつつ、ここは入り口、まわりに客は見当たらない。理性がタイマンに負けて、俺は小ぶりな唇にキスを落とした。
愛してる、とささやいた。
軽い小鳥ちゃんキッスだったのだが菊は、感触を確認するように自分の口に手を伸ばし、考えこむ。
「……どうしたよ、菊ちゃん」
「愛ってけっこう、だいじなことばなんですよぉー……、そんなテキトーに使うはよくないですー」
「日本語変だぜ菊?あーもー、ほら、立ちなさい。みんなのとこに行くぞー」
洋服を着こんだ菊を運ぼうとすると、びくり腕の中の彼が動く。
「フランしす、さんっ!!」
「はい!?」
これまた珍しく怒鳴った菊に驚くが、それ以上になんと言うか、お兄さん的には菊の顔が直視できずにつらい。
「きすしてください」
「へ?」
「いっつも、かってにしてくるじゃないれすかー」
ほらどうぞ。と言わんばかりに、菊は目を閉じ、キス待ちのような顔になる。
はじめて見たその顔に、磁石を見つけた砂鉄のようにひきよせられそうになるが、辛うじて踏みとどまる。
ここは、女の子のための店だ。
腕の中に納まっている菊から目をそむけながらどうにか言いくるめて、とりあえずシェアのメンバーの元に向かった。



どうしよう、ああどうしよう、どうしよう。菊かわいいよ菊。
「でもお兄さんの忍耐試さなくってもいいんじゃないかなぁ……!他の場所でやってくれれば全力で答えてあげるけどさ!」
きょとんという顔で、菊は俺のすぐとなりにいて、もたれかかってきている。
いつもは面倒くさがり屋さんで鈍くて、愛してるってつぶやいても面倒ですとしか返さないようなそんな子が、つるぺたはワシントン条約で保護すべきですとかなんとか言っちゃうような子が。
いまは何故だか甘え上手に劇的に変化しちゃっていた。
ああ、せめて今日、菊がたまに着る和服だったら良かったのに。それだったらどうにか女の子だとごまかしてキスできたかもしれないのに。彼は立派に男らしいスーツ姿である。
酔っ払いを相手に性的な行為を施すことは明らかに犯罪行為だが、自制ができなくとも責められないほどに強烈だ、この酔っ払いは。
周りにはうんざりした顔でこちらを見ているアルフレッド、のほほんとフルーツをかじるフェリシアーノ、ワインをあおるルートヴィッヒが並んでいる。ヘルプはどうにか遠ざけているが、ホストバーで男だけというのはどう頑張っても浮いている。
視線が集まっているのがわかる。いや、慣れてるけどね、かっこいいお兄さんに視線が集まるのは当然だし。
菊がくいくいと俺の袖を引っぱってきた。
「なにかなー?菊ちゃん」
「してくれないんですかぁ」
「…………なにを?」
菊は、ん、と人差し指で自分の唇を指す。
普段の菊からは想像もできない行動だ、妄想はしてるけど。
ありきたりな表現だけど、両腕を広げて待ってくれている羊を食べない狼はいないわけで。
俺の理性は崖っぷちで、片手でぶら下がって数十分、そろそろ体力の限界って感じだ。
「イタリアンにジャーマンー!お前ら結構つきあい長いんだろー!?答えてー!!お酒入ると、この子いっつもこうなの!?」
「うるさいよフレンチ」
「黙ってろアメリカン!頼むからこれどういうことか説明して!お兄さんの理性が死んじゃうまえに!」
「えー、オレも菊が酔ったとこなんて見たことなかったもんー」
ヴェーと鳴き、またワインをあおるイタリアンフェリシアーノ。
ひとつ聞いていいかな。
さっきから君たちごっくごっく遠慮なしに飲んでるけど、ホストバーって正規料金より高いの知ってる?んでとくにここFOREIGNERはそんなに安物も使ってないんだよ、ここ本場の人たくさん来るから。社販とかないぜ。俺も払う気ないぜ。
「なんかね、今日の分は私が払いますって言ってたよ、菊が」
「…………払えんの?」
「えー、そんなこと言われてもオレ金ないよー?」
「私これでも、みんなのなかじゃ、かせぎがしらなんですよ……!なめちゃいやですぅ、ふらんしすさん……」
酒の入った赤い顔でそんなこと言って、俺の頬をつつくのはやめてください、菊さん。たっちゃう。お兄さんたっちゃうから。
ルートヴィッヒとフェリシアーノが少し頬を染めてこちらを見てきた。
ピュアボーイはともかく、女の子大好きと豪語するフェリシアーノまで照れるほどか、うちのハニーは。アルフレッドは呆れて目をそらし、酒をあおっている。
どうしよう。女性同士の修羅場にはなれているつもりだが、さすがにこれは経験がなかった。
片思い真っ最中ってのが俺的にありえないし、振られつづけてるのもあり得ないし、そんな子が酔ったからって俺を誘ってきているのもあり得ない。菊はそういう子じゃないから。
そんなのほっぽいて頂いちゃいたい、けどこの店のスローガンは、女の子は女王様。いくらお客として来ていても、ホストが男に手を出すわけにはいかない。
でも、据え膳ってほんと生き地獄。
理性からすこしだけ手を離し、菊の頬に手が伸びる。酔ってるせいか体温が高い。
「ボヌフォワー、なんか黒服が君らを見つめてるよ。ねっとり」
アルフレッドがだるそうに言う。言われてみれば、数人の視線が俺に突き刺さっていた。
黒服は基本的にはヘルプ要員であるが、同時に監視員でもある。多分ここで俺が菊にキスすれば、よくて減給か、ほぼクビだろう。いくらルームシェアが家賃と食費が安くてもそれは避けたい。
俺の理性は、崖の途中の木にひっかかって、間一髪、一命を取りとめた。
真夜中ではあるが、バーの閉店まではかなりの時間がある。菊を中心にどうにかこうにか帰る方向に説得に励んだ。









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フランシスさんの仕事場大公開です。
そして初の、というよりシェアハウス生涯でただ一回の、とも言える本田さんデレ期。ていうかただの酔っ払い

11.1.2