盗んだバイクで走りだす
仕事で嫌なことがあると、私本田菊はいつもこうだ。
ひとり居酒屋をはしごして、前後不覚になるまで酔っ払い、店を追い出されてよろよろと街を歩いていた。
真夜中だし、なんだか足まで疲れてきたし、そろそろ家に帰ろうかな。嫌だけど。
そう思って駅を目指して千鳥足でむかうが、一向につく気配がない。
どうやら迷ったようだ。
さっきまで見知った路地にいたのに、もうここがどこだかわからない。
酒が足に来たのか、それとも相当量歩いた疲れからか、もう歩ける気がせず街角にどすっと座りこんだ。
30過ぎのオッサンがどうして街で迷子になんてならなきゃいけないんだろう。昔いた田舎はよかったな、こうしてへべれけが座りこんでてもこんなところじゃ誰も気にかけてくれやしない。
「だいだいぃ、なんなんらよあのあめりか人……!ひっつきまわんじゃねぇよ、らからへんな誤解うけるはめになるんれす……」
仕事のことを思い出して一人宙に愚痴る。単なる同業者のはずが、なぜか出会ったときから人懐っこくつきまとってくるアメリカ人。親しくなるのはいいが、こちらの都合も仕事も考えずに押しかけてくるわ、そのくせいいとこはきっちり落札していきやがる。
そんな状況では自然に生まれる誤解。アクシズ社の本田とユナイテッドのジョーンズはつながっている、って噂が広まるのに時間はかからず、当然部下の本田へのあたりがきつくなる。
人が死ぬ気でとった仕事もけなされるし。言うことはきかなくなるし。
「ぜんぶあいつのせいだ……」
わかってる、そんないいかげんな噂をはねのけられない自分のせいだってことくらい、わかってはいるが、酒が入ると自制がきかない。
帰らなきゃなー、と頭のすみっこで思うもののとられて困るものはない。
ぼーっとしていると、耳にパッパーとバイクの騒がしい音が届いた。
暴走族かな、けったいなことだ。なんて思っていると、「オイ、なんかいるぜ」との声が聞こえる。
バイクのライトを何台分も向けられて、まぶしいが逃れる労力も惜しい気がする。
「おっさん」
「おとなしく金だしな」
これが噂のおやじ狩りか。
世間のおやじたちは恐怖してお金を差しだすんだろうが、刺されたとしても悲しんでくれる人もいない。
「金もっれたら、こんなとこに寝転がってるわけないれしょー……」
「あぁん?」
怖くはない。若気の至り真っ最中の彼らに、なんの怖さも感じないが今の自分の情けなさに目頭が熱くなる。そのまま、ぼろぼろと涙が流れだした。
涙の向こうに、明るい銀髪が見える。最近の若者のはやりは銀髪なのか。
「な、なに泣いてんだよ」
「ないれません!」
鼻水までたれて、ずるずるとなんとか吸いこむ。
「きたねぇなオッサン……」
あっけにとられた暴走族のその一言で、ため込んでいた不満が爆発した。
「なんなんれすかぁぁぁぁ!わらしなんてろーせろーせ、はなぺちゃでちんくしゃでジジイで融通きかなくておたくれすよおおおお、なんれすか、ツンデレなんて超わかりにくいんれす、メガネブタはわがままらしぃぃ……っ!あんなのとできてるわけないらろーがぁー!」
うわーん、泣き叫びだしたおっさんに、呆れだす暴走族。
「テメェ一体なんなんだよ!」
「迷子なんれずー!」
「はぁぁぁああ!?」
あっれ、なんで私の隣に銀髪の寝てるんだ?
外資系企業をやっているからといって、こんなにきれいな銀髪の知り合いはいないし、また外人とそこまでの交流はない。
記憶を取り戻そうと必死になっていると、隣の銀髪が動いた。
「よーやく起きたか、ジジイ……」
「私、孫どころか子供作った覚えがないんですが」
「安心しろ、オレもお前みたいな爺さん持った覚えねえから」
そういうとのそのそと銀髪外人は私のベッドから出た。
それが裸だったのだから、ますます私の頭はテンパるはめになる。
恐ろしくて目を背けたい現実、そろーっと自分にかかっている布団をはぐと、そこには私の象さんがひょっこりと見えていた。
しまった二人とも素っ裸だ。
「あのー……、なんで、私たち裸……なんでしょうか」
男は手馴れたように人の冷蔵庫を開くと、断りもせずビールを開けた。
まっとうな質問をしたはずの私を、仰ぎながらガンとばしてくる。その前に股間にぷらんぷらんしている猥褻物をどうにかしてほしい。
銀髪男の見慣れない真っ赤な目は、少しだけ昨夜の記憶を呼び起こした。
「テメー、覚えてねぇのか?」
「あー……暴走族、さん、ですよね。酔っ払ってた私に、からんできた」
やんわりと思い出す。
昨晩、改造バイクの目的のわからない騒音が、めちゃくちゃに酔った頭にガンガン響いていた。
そのころ私の理性は完璧にふっとんでいて、愚痴をこの銀髪に言いまくったような記憶がある。
自分が愚痴を言う相手といえば、家にいる渚たん、八分の一フィギュアくらいだ。相当な醜態をさらしてしまった。
「で、最終的になにが……え、まさか」
仮にどちらかが女だったとしよう。男女が全裸で同じベッドで目が覚めたら、やったことはただひとつ。
それは同姓同士でも当てはまるものだろうか。その辺は私は漫画から情報過多だった。
そんな私を、銀髪は怒鳴りつけた。
「アホか!誰がテメーみたいな貧相なの襲うかよ!」
「えっと……じゃあ?」
「テメーがゲロしやがったから、脱いで、脱がせただけだクソジジイ!気味の悪い勘違いすんな!」
「ですよねー、よかった……」
銀髪外人の話を聞いているうちにまざまざと情けない記憶がよみがえってきた。
へべれけになった私は、親父狩りを決行しようとした暴走族集団の頭である銀髪を、情けない愚痴の連発であきれさせてしまい、見かけによらずお人好しらしいこの男は家まで私を送ってくれたのだという。
そして家に着くなり彼の服ごと吐いて、すべて脱ぎさり洗濯し、帰ろうとした銀髪を寝ぼけた私がベッドにひきずりこんで、そのままぐうすか寝た。
とっさにその場で深く土下座した。
「本当に申し訳ありませんでした……!」
「別に」
暴走族はそっけなくそう言う。
グレてる子はほんとうは性根はいいやつなんだよ、というのは漫画の世界だけかと思っていたが、あれってリアルの話なのだろうか。
土下座の体制で顔をあげると、ニヤニヤした銀髪は手をさしだした。
「迷惑料くらい、払ってくれるだろうな?」
「ええ、まあそれなりには……」
「オレすっげー迷惑したんだぜ?一晩ムダにしたし、ここに来た交通費もオレ様のだし、わざわざ連れてきたってのにゲロまで浴びせられたし」
それは本当に申し訳なく思っている。
「テメーの家は把握したから、逃げらんねぇぜ!」
そう言われて初めて、ここが自分の家だとわかる。
あまりに記憶と物の配置が違うので、わからなかった。そうであるなら、と菊は家に置きっぱなしの財布を手にとる。
ニヤニヤしている銀髪に、その中身をすべてつかみ、男の掌に乗せた。
男が少し戸惑ったような表情をする。
「お、おい……ゆすっといてなんだが、こりゃ多くねぇか?」
「私、数年ぶりに人に親切にしてもらった気がするんです。それも見知らぬ人に、なんて……人の心に感動した、そのお礼です」
銀髪の手には、大体80万ほどの札束が乗せられていた。
「家に置いてれば、まだ差しあげられたんですが」
「ここまで金に困ってねーよ」
銀髪は、手の中から50万束を突き返してきた。
男が言うには、彼ら族は良心的なグループなのだという。
おやじ狩りをするにしても、金持ちから10万位貰ってもいいだろ、べつに。という信条らしく、端的に言うと何十万もの金にビビったのだろう。
ずいぶんかわいらしい暴走族だ。
思わずくすりと笑うと、ゴツッと頭を小突かれた。地味に痛い。
「すみません……」
男が出て行こうとしたので、私はあわてて名刺をさし出した。
「本田菊と申します。あの、差支えなければお名前を……」
「……ギル」
「ギルさん。これから金銭的にでもなんにでも、お困りになることがありましたら言ってください」
「あ?」
「お金がお嫌でしたら、喧嘩の助太刀なんかでも。こんなんでも武道にたけてるんですよ」
にこにことそう言うと、ギルと名乗った銀髪は眉をひそめた。
「なんでそこまで」
「ギルさんの優しさが嬉しかったんです、それだけです」
ギルさんはそういうことを言われ慣れてないのか、少し照れたようなしぐさをした後、私の顔面に張り手をかましてきた。
「いたた、いたいですギルさん」
「うるせージジイ!テメーに言われなくても何度もゆすりにきてやるから覚えてやがれ!」
「はい、お待ちしてます」
ギルさんが玄関先でずっこけたが、なんと言われようともジジイは優しい暴走族に心を奪われたようです。