「私の腕を見込んでくださり、かたじけのうございます」
そう言って、異国の服をまとった男は頭を垂れた。
「小生本田、あなた様をお守りすること、我が刀に誓う次第。願わくば、お側に」
刀を持ちあげかかげられた。慌てる護衛らを収めて、アーサーは風変わりな騎士に尋ねた。
「どうすればいいんだ」
「刀にお触れくださること、すなわち契約の証でございます」
頭を下げたまま男が答える。アーサーは従った。
こうして、奇妙な主従関係がはじまった。
アーサーは大貴族というわけではない。
由緒正しい家柄ではあるが、政治や名をあげることに興味を覚えない家系であったので、ある程度の大きさになると成長もせず衰退もせず今の時代まできた。
そういう意味では、ある意味有名なカークランド家、現当主がアーサーだ。
カークランド家には奇妙な伝統がある。これのおかげでこの家が途切れなかったという者もいるが、偶然か奇跡にすぎないとアーサーは思っている。
当主の護者、つまりは第一護衛は完全に外部から取ること。
危ない以外の何物でもないではないか。アーサーは自分の代で廃止させようと考えている、むなしくも自分の代には適用出来なさそうであるが。一生護者を変えてはならないのも、また家訓なのだ。
任命式だか契約だかの後から、騎士いや訂正、武士の本田はアーサーのそばから片時も離れない。いつもこういう奴が選ばれるのか?付き人に聞けば、様々ですと言われた。
そんなこんなで、要人との密談中でも本田は傍にいる。人払いをしたにもかかわらずだ。
「他に漏れたら困る話だ、下がっていろ」
と言えば、
「いいえ、アーサー。私の仕事はあなたの護衛です。私のことは銅像だとでもお思いください」
と居座る。確かにまったく邪魔にはならない。本田はずいぶん後ろで刀を抱え、目を閉じて微動だにしない。人の出入りがあっても滅多に目さえ開かない。
取引相手が去ってから、アーサーはすわったまま振り返り、本田を見た。
「・・・本田、その距離で守れているのか?」
「私は仕事を遂行しています。あなたが心配なさることはない」
本田は自分のことを何も話さない。代々護者を選ぶのは前当主、アーサーは彼のことは手探りで探るしかなかった。
短い黒髪、低い鼻、丸い顔、低い背、少し焼けた肌は東洋人そのままの容姿、着る服は、近いが中国のものではない。持つ刀も、緩やかな弧を描くものに見覚えはない。
じ、と見ているとぱちりと本田の両眼が開いた。
「なんでしょうかアーサー」
見ていたのに気づいていたのだろう、とは思うも無表情からはなにも読み取れない。
「・・・ファーストネームはなんだ?」
「あなたが知るほどのことではありません。本田と認識してください」
本田は、平静に平坦に揺るがない表情と声音で答えた。
「どう認識するかはオレが決める。名前を言え」
「・・・本田菊と申します。次はパーティーでしょう、遅れてしまいます」
本田は少し不自然に視線をそらした。
そういえば麗人とのパーティーがある、気づかなかったが、この男はアーサーのスケジュールを常に把握していたのだろうか。専用の秘書がいるのに、これも彼の言う仕事のひとつなのだろうか。
パーティーはエーデルシュタイン家で行われる、移動のためにアーサーが屋敷を出ると、妙な格好をした男たちが飛び掛かってきた。
「カークランド卿!覚悟っ!」
しかし移動中などは警戒をもっとも高めるもの、本田の出番とまではいかず、警備兵が取り押さえた。
その間本田は刀を抜くこともそれに触れることもなく、光を宿さない目でただ彼らを見ていただけだった。
エーデルシュタイン家につく。
そういえば家の外に本田を出すのははじめてだ。奇妙な民族服を着替えろ、と言うと、お気遣いなくと言われた。お気遣いしてほしいのはこっちだ。命令だと言い直すと、脱いだ服を捨てないでくださいと言って従った。予備の中から本田には白い服を渡した、東洋人の肌と髪にはよく映えた。
先代は銃を扱える者が護者だった。数世代まえなら刀や弓、斧が多かったようだが、最近は専らガンマンが主流である。
なにを考えて無駄に長生きした先代がアーサーに本田を宛がったのかはわからない、とにかく、華々しいパーティーでさえ、刀を放そうとしない本田は東洋人ということをさしひいても目立っていた。
いつもなら本田は数メートルの距離を保ってアーサーに着いてきたが、さすがにパーティーなどの時では勝手が違うのか、2,3歩下がった距離にたたずんでいた。
幼少の頃より、さまざまなパーティーに連れていかれたが、自分が当主ともなるとその景色も心持ちも変わってくる。
見覚えのある男がアーサーを見ると寄ってきた。後ろには、こちらも見覚えのある女性をつれている。
「こんにちはジュニア。いや、カークランド当主殿というべきですかね。おめでとう、第一護衛をつけられたようで」
「ありがとうエーデルシュタイン。以後もよろしく頼む」
手を差しだせば、人がいいと噂の彼は素直に握手をしてくれる。高等貴族の一員であるカークランドよりは上のだが、未だに物腰のやわらかい当主だ。
予想していた通りの好感触にほくそえんでいると、背後から気に入らない声が聞こえてきた。
「よう、坊ちゃん」
アーサーが苦々しくふりかえると、残念ながら想像通りの奴だった。
男の癖にムダに長い髪をして、無駄にきらびやかな服を身につけているのは奴、フランシス・ボヌフォワのスタンダードだ。
「変な護者だねぇ。まだ子供じゃないのか?そんな趣味あったっけー」
「うるせぇよエロヒゲ。女に守られてる野郎よりゃましだ」
フランシスに言うと、聖女と名高い彼の第一護衛はこちらを睨みつけてきた。迫力はあるが怖くはない、所詮女好きのフランシスが顔だけで選び、偶然ヤらせてくれなかっただけの女だ。それはそれで気に入ったらしいフランシスは、そのジャンヌ・ダルクとやらをそのまま護衛につけている。
フランシスを貶すために放った言葉だったが、思わぬ方向から反撃が出た。
エーデルシュタインの護衛だ。
「カークランド郷、今の言葉撤回していただけますか?私はともかくローデリヒさんを蔑むことは許しません」
「エリザ。彼は私に言ったのではないのですよ、お引きなさい」
「いいえ、ボヌフォワのヤツと同じ場所に貴方が当てはまることが許せません。カークランド郷!」
エーデルシュタインがたしなめるも、女護衛はひかなかった。豊かな髪を縛り、戦闘服に身を包んだ彼女はぎろり、アーサーを睨みつけてくる。
武器を突きつけているわけではないが、手にはかけていた。
没落しかかっているとはいっても、まだまだ力のあるエーデルシュタイン家を怒らせるのは得策ではない。アーサーは静かに目を閉じ、小さく頭を垂れる。
「すまない、不快にさせたようだ」
「いえ。こちらこそ護衛が失礼しました」
そう言うと、ローデリヒは去っていった。
しかし、主の目の前にいる物が武器に手をかけたというのに、本田は三歩下がったところから微動だにしなかった。
アーサーはまだ本田の実力を見たことがない、彼が動いたところをみたことがないのだから。彼の護衛能力を疑いたくなった。
エーデルシュタインらは去ったが、フランシスはまだ傍に残っていた。
もっとも近場にいる相手だからか、ボヌフォワ家とカークランド家は代々仲が悪い。現当主間においてもそれは変わらなかった、俗に言う腐れ縁的なものであるが。
「しっかし、お前の護者ちゃん何歳くらいなんだ?どー見ても子供にしか見えないぜ」
フランシスが、本田のどこを見ているともつかない顔を覗き込んで言う。
そんなのアーサーも知らない。
「本田、お前いくつだ?」
「ご想像にお任せします」
「命令だ。答えろ」
「……26です、アーサー」
どうみても、未成年にしか見えなかった。まともな服を着込んだ状態ではあるが、どうも東洋人には会わないらしく和服を着たときよりも幼く見える。
だがここに来る前の和服の姿を思い返しても、本田はアーサーより年上には見えなかった。
「えええー!うっそ!」
「嘘をつくな」
「……」
本田は目を伏せて黙ってしまった。もしかすると本当なのかもしれないが、アーサーに確認する術はない。
「ま、せいぜいこの気位だけは高いお坊ちゃん守ってやれよ、いくぞジャンヌ」
「はい」
そう声をかけると、フランシスは人垣をより分けていってしまった。
「ったく、女たらしが」
アーサーが毒つくも、本田は無反応だ。
「ほんとにお前は無口だな。話し相手にもなりゃしねぇ」
「私の仕事は護衛です故」
「こなしているところは見たことないが」
「……」
まただんまりである。
本田を引き連れ、また数人の当主たちと挨拶を交わした。その後、食事の並ぶテーブルの周りに立っていると、後ろにどかっと人がぶつかってきた。
「ご、ごめんなさいー。って、うわあーー!アーサーだ!!」
アーサーにぶつかり、しりもちをついた男は、謝ってきたがアーサーを見るなり叫んでこちらを指差してきた。
ヴァルガスの現当主、フェリシアーノである。
ヴァルガス、昔は他国に名をとどろかすほどの大貴族であったが、先々代あたりから廃れてきて、今では没落貴族のうちのひとつだ。
ちなみに現当主は双子で、何を思ったか当主に二人を据えている。これはその弟の方だ。
いつまでも座りこんでいるフェリシアーノを、護者のルートヴィッヒが立たせる。
すると、それまでアーサーの背後にいて、話しかけられるまで目をつぶり、話しかけられても動きもしなかった本田が、突如動いた。
主であるアーサーの前に割って入り、フェリシアーノと対峙する。
「ヴェー?」
さらには腰にかけている刀にまで片手をかけた。
「おい、何してるんだ。……本田?」
まさかパーティーで抜刀するほど非常識だとは思わないが、しかし自分は本田のことなど何も知らないのだ。
そんな本田に反応して、護者のルートヴィッヒもフェリシアーノを下がらせた。腰の拳銃にそっと手を伸ばしている。
華やかな会場の傍らで、ここだけ殺気が充満していた。
「な、なにやってんのさルート」
「黙ってろ、こいつ相当の使い手だ」
フェリシアーノは怯えつつも、頭にクエスチョンマークばかりを浮かべて役には立たなそうである。
「本田、なにをしている。質問に答えろ」
「……下がっていてください。それ以上彼に近づけば、私は護衛の役割を果たせない」
本田はごくごく真面目にそうのたまった。
まさかとは思うが、彼とは腕が立つと噂のルートヴィッヒのことだろうか。
アーサーはため息をつき頭を抱えた。なんなんだこいつは、まったく常識がなっていない。
アーサーは本田に近づいた。本田は慌てたようにソレを止める。
「聞いていましたか、下がって……っ痛!」
ドカッと本田の頭に拳を下ろした。
「何をなされるのですか……!」
「刀から手を放せ馬鹿。すまんなルートヴィッヒ、護者の仕付けがなってなくて」
「いや……」
「アーサー、しかしその者の強さは異常です、襲われたならあなたは!」
殴られた頭を押さえながら、本田は訴える。
「ヴァルガスはカークランドの傘下にいる。その護衛、それも第一護衛が暗殺など大それたことができるはずないだろうが」
「わかりません。警戒するに越したことは……」
「勝手に警戒してろ、俺の邪魔はするなといったはずだ」
言えば渋々、といった風に刀から手を放す。それを見てようやくルートヴィッヒも警戒を緩めた。
一人意味がわかっていないのはフェリシアーノだ。
「え?何?どーしたのー?」
「まあ……つまりは、今の行動はルートヴィッヒの腕を認めていたということだ」
「ほんとーー?ルート鬼の様に強いモンね!」
それで納得してしまうこの当主はアーサーには理解不能だ。だがいまは都合がいい、ヘタな言い訳も必要ない。
また本田が粗相を起こしてしまう前に、早々と彼らの前から去った。
こんなことが度々あれば、たとえ正式な護者といえど連れて歩くのは少々厳しくなる。
「あのな、本田」
「……」
まただんまりにもどったようである。先ほどの饒舌はどうしたのか。
「さっきのような真似は二度とするな」
「……約束しかねます」
「何故だ」
「彼は強い。貴方を守るためにはああする他ありません」
言葉が足りないが、つまるところ、フランシスの護者やエーデルシュタインの護者ならばどれだけ離れていても、アーサーを守ることが可能だということか。
自信過剰な。
天下一とも名高いルートヴィッヒには敵わないまでも、女であるダルクもヘーデルヴァーリも各国では少数精鋭の中から選ばれているはずだ。
もし敵対すれば油断していい相手ではない。それすらわからないとは。
――そうか、女か。彼女らが女である、そういうわけで男のルートヴィッヒとは区別をしたわけか。
上流階級の集まるパーティーで帯刀などが許されているのは各当主の護者のみ、なるほど本田は、ルートヴィッヒ以外の武器携帯者には女としか出会っていない。
文化の遅れている東洋では女の地位が低いと聞く。本田がそういう考えを持っていると考えるのが妥当だろう。
そもそもこの自分の護者は自分の怒りの拳ひとつ避けられなかったではないか。そんなものがルートヴィッヒら護者の強さが見抜けるわけがない。
アーサーはため息をついた。本田は少し不可思議な目でこちらを見ている。
「……帰ってろ」
「できません」
「命令だ」
「……応じかねます」
黒い目は決意に揺るがない。
できるものなら本田ともども家に帰り、説教をかましたいところだが、このパーティーはエーデルシュタイン家で行われているものの、アーサー襲名の第一披露宴のようなものだ。
無駄に長い治世を誇った先代の名をしっかりと売り、自分の名を広めなければならない。帰るわけにはいかなかった。
「なら、パーティーの最中は絶対に刀に手をかけるな」
「ですから、」
「お前は三度も当主の命を拒絶するのか?それが東洋の礼儀か」
「……了解いたしました」
パーティーに戻ると、再び本田は背後の銅像と化した。護者が普通に男の場合でも、それはかわらなかった。
ただ、ルートヴィッヒが近づけば、命令に従い刀には触れないまでも、アーサーの前にはさみでたのだが。
「アーサー様っ!」
キィンッ、聞いたこともないような綺麗に澄んだ金属音が、銃声の直後にアーサーの耳に響く。
付き人の叫び声がしたかと思えば、物騒な音も次々と聞こえ、なんだ?と警戒しつつ後ろを向く。青ざめた付き人と、日本刀とやらを抜刀した本田がいた。
「アーサー、お怪我は?」
「ない。何がどうしたんだ、本田」
「……」
本田はアーサーの言葉に答えず、あたりを見回すと刀をくるりと回して鞘に収めた。
付き人が慌てて我にかえって、尋ねた。
「本田殿、不埒者は」
「逃亡しました」
「捕まえないのですか」
「ご当主を狙う輩など五万といる、一人捕まえたとて意味はありません」
「ふん、一理あるか」
説明しようとはしない本田に代わって付き人の話を聞くと、不埒な輩が警備網を突破して、アーサーに背後から発砲したらしい。
アーサーの背後にいた本田が一瞬の内に抜刀して刀を振りかざしたかと思えば、かの金属音。地面に落ちていたのは中心から真っ二つにされた弾丸。
本田は不意に発砲された銃弾を一刀両断したらしい。
この話は、本田の強さが明らかになっていく後日、武勇伝のひとつとして語り草になる。
本田がパーティーでルートヴィッヒにだけ過剰反応したのも、彼らの腕からすると当然のことだったのかもしれない、少々常識ハズレではあるのだが。